WRC開催地

2019年10月4日

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WRC開催地の特徴

1973年から始まったWRCイベントで、2016年までほぼ継続して行なわれているのはモンテカルロ、スウエディッシュ、アクロポリス、フィンランド(1000湖ラリー)、グレートブリテン(RACラリー)、ツール・ド・コルスの6イベント。
2016年までの開催国は31カ国、開催地毎のイベントとしては35カ所となる。

各ラリーに表記される開催回数は、WRCだけではなくそのラリーイベントそのものの開催数になる。WRCの歴史は2017年で45年になるが、たとえばモンテカルロ・ラリーは1973年のWRC初開催以前に40回ほど行なわれていたので、2017年は85回目の開催となる。

ラリーの名称は近年のもの、あるいは最後に行われた時のものを記載した。開催地やメインスポンサーの変更により名称が変わることがある。

モンテカルロ(Rallye Automobile de Monte-Carlo) モナコ 1973~現在


「ここでの勝利は特別なんだ」と、モンテを制したドライバーは異口同音に言う。伝統の一戦は勝利の重みが違うのだ。しかしターマックと積雪路が混在するトリッキーなステージを嫌うドライバーもいる(マーカス・グロンホルムは06年に優勝しているが、モンテカルロは好きではないイベントと言っている)。

モンテカルロ・ラリーの主催者はF1モナコグランプリと同じACM(Automobile club de Monaco オートモビル・クラブ・ド・モナコ)。1911年より開催され、途中2度の世界大戦などで中断があったが、2016年で84回目の開催となる。1974年はオイルショックのため中止、1994年はW2L、2008~2011年はIRCとして開催。

モナコの市街地コースで行われるF1と違い、モンテカルロ・ラリーはスタートとフィニッシュのみがモナコ国内で、コースのほとんどはフランスに設置される。

記念すべきWRC第1戦、1973年1月19日から26日に行なわれた第42回モンテカルロ・ラリーの勝者はジャン-クロード・アンドリュー。コ・ドライバーは24歳の女性、 Michèle Espinosi-Petit、通称“Biche”(雌鹿)。

2位のドライバー、オベ・アンダーソンは元TTE社長・トヨタF1監督、コ・ドライバーのジャン・トッドはフェラーリF1監督。3位のドライバー、ジャン-ピエール・ニコラはプジョー・ラリー部門監督という、錚々たる面々である。

フランスで行われるSSは狭く曲がりくねっていてサンレモとよく似ている。基本的にはターマックラリーなのだが冬の開催ということもあり、舗装路・雪道・凍結路が混在することが多い。ブラックアイスに乗ってしまいコースアウトする車もよく見られる。平均時速は80~90km程度。

チュリニ峠とシステロンが有名なコース。『システロンを制すものはモンテを制す』と呼ばれた名物コース・システロンは03年よりルートから外れてしまったが2012年に復活した。

WRCの伝説的なスタート方式・コンサントラシオンで幕を開けていたモンテカルロ・ラリーも、近年のWRC規模縮小化に伴いこじんまりしたラリーに変貌している。昔を知るドライバーやチーム関係者の中には、モンテはつまらなくなったとはっきり口にする者も少なくない。

ドライバーの得手不得手が別れるタイプのラリーで、モンテカルロを得意としていたサンドロ・ムナーリ、ワルター・ロール、トミ・マキネン(4連勝)は4勝している。
カルロス・サインツは3勝しているが、ユハ・カンクネン、コリン・マクレーはモンテで勝ったことがない。ペター・ソルベルグは11回出場し最上位が3位、リタイアが4回、5位~9位が6回と苦手なラリーだった。
セバスチャン・ローブは9回出場で7勝した。2006年はレグ1でコースアウトしリタイアするがスーパーラリーで復活。背負った5分のハンデをものともせず1位のグロンホルムに1分差まで詰め寄り2位でフィニッシュし、モンテ・マイスターの本領を発揮した。

スウェーデン(Rally Sweden)  1973~現在


1950年より開催。首都ストックホルムとノルウェーのオスロの中間ほどにあるカールスタッド市にHQが置かれ、カールスタッドから90kmほど北の街ハグフォスを中心に行われる。

基本的にはオールスノーのイベントだが、昨今は気温が上昇しているためグラベルが混在することが多い。雪と氷に覆われた針葉樹の林の中を平均時速110~120kmで走り抜ける高速ラリー。フィンランド・ラリーと並び、このふたつが現在の高速ラリーの双璧になる。
1990年は暖冬のため雪がなくイベントがキャンセルされた。

雪道を走るラリーであるが、ハリネズミのようにスタッド(スパイクピン)を打ったタイヤを使うため、「世界中のどんなグラベルよりもグリップが得られる」というドライバーもいる。このイベントで使われるタイヤは幅が13センチ程度と非常に細く、テンパータイヤを4本履かせたようなスタイルはかなり特異だ。

近年は北欧も暖冬で雪が少ないが、積雪の多い頃は除雪した道の両側に雪の壁ができていて、ラリーカーはその"スノーバンク"に車体を擦りつけながら走っていくのがスウェーデンの特徴のひとつだった。

05年で54回目になるが、2003年までに優勝したドライバーは全員、北欧出身という"北欧伝説"が守られてきた。04年、フランス人のセバスチャン・ローブが優勝し、史上初の北欧人以外の優勝者となったが、05年~12年は再び北欧出身者のみが優勝している。

2002年から2008年まではUddeholm Swedish Rallyの名称で開催されていた。冠スポンサーのウッデホルムはハグフォスにある工具会社。この地域は品質の高いスウェーデン鋼でも有名だ。

メキシコ(Rally México) 2004~現在


93年から開催されているラリー・メヒコは04年にWRCステータスを獲得した。メヒコはメキシコのスペイン語読み。
2001年からビール会社のCoronaが冠スポンサーになりCorona Rally Mexicoとして開催され、2010年からRally Guanajuato Mexico(公式サイトはRally Guanajuato Corona)という名称になっている。

メキシコ中部のグアナフアト州レオン市を中心に開催される。将来的にWRCが開催されることを見越し、プジョーが02年にハリ・ロバンペッラを送り込み、優勝している。

ラリーの総距離は1000km程度と非常にコンパクトだが、標高が最も低い地点で1800m、最高で2700mに達する。
空気が薄いためエンジンパワーが20~30%も低下するという。

2004年は「気がついたら1位になってた」というフォードのマルコ・マルティンが優勝。平均速度は95km/h。

ニュージーランド(Propecia Rally New Zealand) 1977~2012


69年から開催され、77年はWRCに昇格しサウスパシフィック・ラリーとして開催された。ニュージーランド北島のオークランドを中心に行われる。

路面はグラベルでフィンランドに似ており、スムーズで硬く締まっているためアイアンロードと呼ばれている。平均時速は95~105km程度。高速でうねった路面が特徴。
Propeciaは養毛剤。

サルディーニャ(Rally Italia Sardinia)イタリア 2004~現在


WRCイタリア・ラウンドが、サンレモ・ラリーに代わり04年から地中海に浮かぶサルディーニャ(Sardegna)島に変更された。路面はグラベル。

サンレモはターマックだが、FIAの意向として、よりラリーらしいグラベルラリーを増やしたいのが変更の一因のようだ。サンレモは観客が大勢集まりすぎて収拾がつかないからという話もある。

イタリア選手権として開催された03年のコスタ・スメラルダ・ラリーはサルディーニャ島北部のオルビアとポルト・チェルヴォで行われ、プジョーから送り込まれたハリ・ロバンペッラが優勝している。

高級リゾート地のため物価が非常に高い。

キプロス(Cyprus Rally) 2000~2006, 2009


70年から開催されている。00年、シーズン・イン後にチャイナ・ラリーがキャンセルになったため、急遽WRCに昇格された。

キプロス(英語読みはサイプラス)は地中海でシシリー、サルディニアに次いで3番目に大きい島。ラリーはヨーロッパからのリゾート客が多いキプロス第2の都市リマソル(レメソス)を中心に行われる。

路面は悪路で知られるアクロポリスをもっと悪くしたようなラフグラベル。平均時速が60~70km程度というWRCの中でもっとも遅いラリー。気温も30度を超え、車内は65度にも達する。ドライバーにはおおむね評判が悪いラリー。マルコ・マルティンのように「大嫌いだ」と言い切らないまでも、ペター・ソルベルグのように「好きなラリー」と言う選手は少数派。

トルコ(Rally Of Turkey) 2003~2010


ラリー・オブ・ターキーが開催されたのは72年から。00年にアナトリアン・ラリーとしてWRC招致を念頭に開催され、03年にWRCに昇格。07年にカレンダーから落ちたが08~10年は開催。11年以降は開催されていない。

トルコ南部・地中海沿岸のリゾート地、アンタルヤを中心に行われる。路面はラフグラベル。03年の平均時速は75km程度。

アクロポリス(Acropolis Rally) ギリシア 1973~2013


記録に残るギリシアの自動車レースは1926年まで遡る。アクロポリス・ラリーは1953年から始まっている。

アテネから200kmほど北西の町、ラミアを中心に行われる。路面はラフグラベルで、石というよりも小さな岩がゴロゴロ転がっている。

開催時期の気温は40度を超え、車内は50度以上にもなるため、昔はドライバーがTシャツ姿で運転している姿も見られた。暑さと荒れた路面がドライバーとマシンを苦しめ、「アクロポリスを制するものはWRCを制す」と呼ばれる過酷なラリー。平均時速は80~90km程度。

2014年より資金難のためWRCカレンダーから落ち、ERCで開催されている。

アルゼンチン(Rally Argentina) 1980~2013


78年にブエルタ・ラリー、79年にトゥクマンという町をベースにしたコダスール・ラリーとして開催された。80年よりWRCカレンダーに組み込まれ、83年から現在のコルドバで開催されている。2014年以降はWRCから外れERCが開催されている。

路面はラフグラベルだが、キプロスやアクロポリスほど荒れてはいない。とはいうものの道路脇は岩がゴロゴロしている。名物の山岳ステージはWRCのコンパクト化に伴い近年はカットされたこともある。平均時速は90km前後。

フィンランド(Neste Rally Finland)  1973~現在


51年から開催されている。54年よりユバスキラにベースを移し、1000湖ラリー(Rally of the Thousand Lakes)となった。97年よりラリー・フィンランド(Neste Rally Finland)に改称。路面はスムーズなグラベル。

スウェディッシュと共に高速ラリーの代表で、別名フィンランド・グランプリとも呼ばれている。平均時速は120km前後、最高時速は200kmを超え、スピードが出すぎるので減速のためのコース設定がされるようになった。見所になるジャンプも多いラリー。ジャンプが連続するルーヒマキのステージが有名。

ジャンプのあとにはブラインドコーナーが続くトリッキーなステージが多く、地理に詳しい地元ドライバーが有利なイベントでもある。73年の開催以来、優勝者の約8割はフィンランド人。マーカス・グロンホルムは7勝している。

ネステはフィンランドに本拠を置く、石油産業を中心とした多国籍企業。

ドイッチュランド(ADAC Rallye Deutschland)ドイツ 2002~現在


82年より開催されている。ドイツ国内ラリーを統括するADACとAvDが共同でWRCを招致し、02年よりWRCに昇格した。2002~10年までに開催された8回のラリーでセバスチャン・ローブが8連勝している。

モーゼルワインで名高いドイツ西南部、ルクセンブルクとの国境に近い古都トリアーを中心に行われる。

使うコースはぶどう畑の中の細いアスファルトの舗装道路と、戦車の訓練に使うようにコンクリートで整地された軍事用演習地。路面にグラベルが掻き出されることが多く、後方での出走は不利になることがある。平均時速は100km程度。

ADACはドイツ自動車連盟、AvDはドイツ自動車クラブ。

イギリス(Wales Rally GB) 1973~現在


古くからRACラリーとして親しまれてきたイギリスのWRCは、00年より舞台をチェルトナムからウェールズのカーディフに移し(2013年からランディドノー)、03年から名称もウェールズ・ラリー・グレートブリテンとなった。平均時速は100km前後。雨の日(時に雪も)や霧の多いイベントとして知られている。

RACラリーが初めて開催されたのは1932年。1940~50年は開催されなかったが1951年を第一回として復活し04年は60回目の開催となる。モンテカルロに次ぐ歴史あるクラシックイベント。
RACとはロイヤル・オートモビル・クラブ、つまりイギリス王室自動車クラブ。

WRCが始まって以来、ほとんどが11月の最終戦として行われてきたが、04~05年はシーズン中盤に開催され、06年以降再び最終戦として行われている。

最終戦のため様々なドラマを生み出すラリーとしても知られており、ほとんど手に入れかけたチャンピオンの座を失ったり、あきらめかけていたシーズンの覇者となる者もいたり、明暗のはっきり分かれるラリーである。

日本(Rally Japan) 2004~2008,2010


日本で国際格式のラリーが初めて開催されたのは、01年北海道と群馬県の日本アルペンラリーが最初になる。
02年と03年はアジア・パシフィックラリー選手権としてラリー北海道が開催され、04年にWRCラリー・ジャパンに昇格した。路面はグラベル。04年の平均速度は103km/h。
04~07年は帯広市を中心に開催され、08・10年は札幌を中心に開催された。

観戦エリアが完全に決められているため、多くのWRCのようにスタートからゴールまで路肩に観客の列が続く、という光景は見られない。他方、リエゾンには観客や沿線の住民が旗を振って応援している姿がみられる。
セバスチャン・ローブ曰く、「ロードセクションには観客が大勢いるのに、ステージ内に入ると誰もいなくなる変ったラリー」。

「ラリー・ジャパン」と”・”が入っている表記は毎日新聞社が商標登録しており、毎日新聞が04~05年の主催のみでスポンサーを降りてしまったため、06年は「ラリージャパン」と”・”なしになっている。

観客数は初年度の04年から減り続けているようで、毎日新聞社は赤字の蓄積を理由に2年で撤退。メインスポンサーを失い06年は1億5千万円の赤字になったという。
十勝地方の交通の便、宿泊施設の規模から観客の動員数も限りがあり、スーパーSSの観戦料金がメインスタンドで15,000円、SS観戦料金が1日6000~7000円、場所によってはシャトルバス代・駐車場代が加算され、さらに宿泊費、交通費がプラスされる。この高すぎる観戦料金が観客減少の原因となったのだろう。

ツール・ド・コルス(Rallye de France Tour de Corse)フランス  1973~2009, 2015~


初開催は56年。優勝したのはMmes THIRIONという女性ドライバー。ナポレオンの生誕地、コルシカ島アジャクシオを拠点として行われている。かつては島全土を駆け巡り、文字通りツール・ド・コルスだったこのラリーも、近年ではアジャクシオを中心としたコンパクトなコースとなっている。

路面はターマック。天候が変わりやすく、タイヤ選択が特に難しいラリーのひとつだ。「100m直線が続いたら、それはコルシカではない」とまで言われる、曲がりくねったコースが特徴。平均時速は90~95km前後。

ラリー・ド・フランス-アルザス Rallye d’Alsace, Rallye de France-Alsace 2010-2014

2010年よりフランスラウンドが地中海のツール・ド・コルスからドイツ国境に近い内陸に移動した。欧州議会のあるストラスブールを拠点に開催される。2015年からラリー・フランスは再びツール・ド・コルスに移った。

カタルニア(Rallye Catalunya-Costa Daurada/Rallye de España)スペイン 1980~現在


57年より開催されているカタルニア・ラリーとコスタ・ブラバ・ラリーが合体してラリー・カタルーニャ-コスタ・ブラバとなった。

バルセロナ北のリゾート地、ジョレット・デ・マールを中心に開催された。WRCに組み込まれたのは91年より。06年からコスタ・ドラダに変更され、バルセロナから南西100kmほどにあるサロウを拠点として開催される。

開催当初はミックスサーフェスだったが93年よりターマックラリーとなっている。平均時速は90~100km程度、長い直線では最高時速が210km以上になる。近年はステージ内の観客の駐車が大きな問題になり、規制が厳しくなっている。

ポルトガル(VODAFONE Rallye de Portugal )  1975~2001、2007~


67年より開催され、75年からWRCに昇格された。94年まではグラベルとターマックのミックス、95年以降はグラベルラリーとなる。2台併走のロウサダやファフェの大ジャンプが有名。ポルトガル第2の都市、ポルトを中心に開催された。

観客が熱狂的なことでもよく知られ、道路内に観客が大勢出ていることも少なくないラリーだった。86年、ヨアキム・サントスのフォードRS200が観客の中に突っ込み4人が死亡する事故が起こる。このときは観客のコントロールがまったくできていないとして、トップクラスのドライバーのほとんどはラリーを途中でボイコットした。

その後はこれほどの大事故は起こらなかったものの、相変わらず主催者が観客のコントロールをできないとして02年以降WRCから外された(07年より復活)。

94年から00年まで冠スポンサーだったTAPはポルトガル航空。

オーストラリア(Telstra Rally Australia) 1989~2006


初年度の1988年からWRC招致を念頭に開催され、翌89年には早くもWRCに昇格された。西オーストラリアのパースを中心に行われる。04年からはWRCの最終戦となっている。

コースは丸い小石が敷き詰められているようなグラベル路面のため、ボールベアリングロードと呼ばれている。平均時速は105km前後。ジャンプが連続し、ウオータースプラッシュで盛大に水しぶきをあげるバンニングスが有名。

オーストラリアは出走順がタイムに大きく影響することでも知られている。上位でLEG1やLEG2をゴールしてしまうと、次の日に先頭スタートになってしまうため、それを避けるためにトップドライバーたちがスローダウンに次ぐスローダウンを行ない、とてもスピードを競うラリーとは思えない光景を繰り広げたこともある。

00年にカルロス・サインツが停車禁止区間で止まって時間調整をしたため、失格になった。トミ・マキネンにわざとフライングスタートさせ、ペナルティで順位を落とさせたフィル・ショートの策略も有名だ。スポーツマンシップに反する行為ではあるが、かといって全開走行して順位が上になれば、次の日は刑罰に等しい砂利掃除の役が待っている。

日本からは観戦ツアーもあり、いちばん行きやすいラリーだといえる。観戦エリアは決められていて、その外には出られないので、写真を撮る人は少々不自由に感じるかもしれない。Telstraは電話会社。

ノルウェー(Rally Norway) 2007~2009


ノルウェーのラリーとしてはERCのRally Finnskog Norwayが開催されているが、ラリー・ノルウェーとしては2回目の開催でWRC昇格。イベント実施後、主催者が破産し以降の開催が危ぶまれていたが、2009年のWRCカレンダーには組み込まれた。

アイルランド(Rally Ireland) 2007


イギリス領北アイルランドのベルファストを中心に開催される。SSはアイルランド共和国と北アイルランドの両方に設定される。路面はターマック。

ヨルダン(Jordan Rally WRC) 2008, 2010~2011


Jordan International Rallyは1964年からヨルダン王室(Royal Automobile Club of Jordan)が主催して開催。
中東で初のWRC開催となる。

サファリ(Inmarsat Safari Rally) ケニア 1973~2002


エリザベス2世のが即位した53年、イギリス領・東アフリカで新女王の戴冠式への捧げ物、“Coronation Rally”として初開催され、その後East African Safari Rally"として行われた。もっとも速く、もっとも長く、もっともラフで、もっとも暑い、ドライバーにも車にも、いちばん過酷なラリー。ナイロビを中心に行われた。

サファリ仕様のラリーカーは外観ですぐ見分けがつく。ラフロード用に車高は上げられ、エンジンの吸気口にはシュノーケルが取り付けられ、Aピラーを伝ってルーフの上までダクトが伸びている。

かつては6000km以上もの距離を走っていた。最高時速は200kmを優に超え、平均時速は120km前後と非常に速いラリー。昔から日本車も多数参加しているのでよく知られている。

WRC初開催の73年、ダットサン240Zが優勝、日本車としては初のWRC優勝を飾る。

治安上の理由から2002年を最後にサファリ・ラリーはWRCから外された。Inmarsatは衛星電話の会社。

インドネシア(Rally Indonesia) 1996-1997


アジアパシフィックラリーで行われていたラリー・インドネシアは96年にWRCに組み込まれた。

SSはスマトラ島の、ゴムや油椰子のプランテーション地帯に設定された。赤道直下で気温40度、湿度は85%にも達し、雨が降ると泥道と化す路面はグリップ力ゼロといってもよいほど滑りやすくなったという。

平均時速は85km前後。2回の開催で優勝はいずれもカルロス・サインツ。98年は当初カレンダーに組み込まれていたが、政情悪化により中止に。以降は開催されていない。

チャイナ(China Rally) 中国 1999


中国での国際ラリーは85年から開催されている香港ー北京ラリーが最初であり、その後APRCにも組み込まれた。

APRCからWRCに昇格されたのは99年のみ。冠スポンサーのBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ、555の銘柄で知られる)がこの年だけでスポンサーを降りたため、翌00年は当初カレンダーに組み込まれたものの4月に中止が決定、キプロス・ラリーに変更された。

中国のたばこ市場を見込んだスポンサーにFIAが押されたために開催、スポンサーが引っ込んだために中止という、何のために行なわれたのか疑問の多いラリーだった。

ラリー自体も沿道の住民を強制退去させたり、ロードセクションまで交通を遮断するなどして行なわれ、新聞などのメディアでもほとんど報じられず、地元の人々も何が行なわれているのか理解できないままだったという。

ラリーは北京の西、密雲(miyun)近くのヤンジー湖周辺で開催された。中国の他のラリーは比較的状態の良いグラベルだが、このチャイナ・ラリーで使われたコースの路面はアクロポリス並の悪路で、雨が降ると泥沼のようになったところもあった。
雨のため道路が崩壊して2本のSSがラリー開始前にキャンセルされ、SS1のスタートから2kmの地点でフォードの2台が全く同じ場所でサスペンションを壊しリタイアするという荒れたラリーになった。

2016年に17年ぶりのWRC開催が予定されていたが、大雨による水害で開催が困難となりキャンセルされた。

サンレモ(Rallye Sanremo – Rallye d’Italia )イタリア  1973~2003


熱海市の姉妹都市、サンレモはモンテカルロから100kmほど東にある町。リヴィエラ・デイ・フィオーリ(花のリヴィエラ)として知られるサンレモらしく、フラワーズ・ラリーという名称で行われていた時期もある。初開催は1928年。61年より毎年開催されるようになった。

96年まで前半はトスカーナ地方でグラベル、後半はリグリア地方でターマックという構成で行なわれ、ピサの斜塔があるドゥオーモ広場がパルクフェルメになったこともある。97年よりオールターマックとなり、インペリアとサンレモを中心にしたWRCの中でもいちばんコンパクトなラリーへと変わっていった。

地中海沿いのサンレモから内陸に向かうと細く曲がりくねってアップダウンの激しい道が続いていく。このコースはドライバーから「魔女たちの回廊」と呼ばれていた。03年で45回目の開催を数えたが、04年からWRCイタリアラウンドはサルディーニャ島に舞台を移した。以降サンレモラリーはIRCやERC等で開催されている。

ブラジル(Marlboro Rallye do Brasil )  1981-1982


81年と82年の2回だけ開催された。同じ南米のアルゼンチン・ラリーを政府が支援していたのに比べ、ガソリンにもこと欠くほど経済的な事情が悪い中で、マルボロの支援を受けサン・パウロで開催された。
ヨーロッパから遠いこともあり、81年の参加ワークスはフォード、ダルボ、日産のみ。ラリーのスポンサーはマルボロ(アメリカのフィリップモリス社のタバコ)だが、勝ったのはロスマンズ(イギリスのタバコ会社)・スポンサードのフォード。

82年はこのラリーの提唱者が実行委員会からラリー開始1週間前に脱退するなど運営が混乱した。さらに豪雨が襲うなどの悪天候もあって出走した55台中、完走はわずか5台。55台中22台がガソリン車、他はアルコール燃料などの車だった。83年からはWRC中南米ラウンドがアルゼンチンのみになり、ブラジルでの開催は以降されていない。

レデュレイク/リドー・レイクス・ラリー(Rideau Lakes)カナダ  1974


74年に一度だけ開催された。ヨーロッパからのエントリーを集めやすいとして、PORの2週間後に設定された。

オンタリオ湖の北、カナダのスミスフィールズはホテルもほとんどない小さな田舎町で、参加者の多くは民家にホームステイし、住民もこころよく受け入れたという。ラリー自体はルートの公開されないシークレットラリーで、夜間に行なわれた。75年以降は資金を集められないため開催を断念、一度だけで終わったラリー。

クリテリアム・ドゥ・ケベック(Critérium Molson du Québec)カナダ 1977-1979


77年から、カナダの酒造会社モルソン・ブリューワリーズをメインスポンサーとして開催された。路面はグラベルとターマックのミックス。

モントリオールを中心に行われ、SSはモントレンブランの森に設定された。79年は主催者が分裂したりして運営が混乱し、地元住民からも苦情が出るなどしたため、3年間で幕を閉じることとなった。

コートジボアール/アイボリーコースト(Rallye Côte d’Ivoire Bandama /Ivory Coast Rally)


69年より開催され、WRC開催は78年から。コートジボアールはアイボリーコーストのフランス語読み。Bandamaはコートジボアール国内を南北に流れ象牙海岸に流れ込むバンダマ川。72年は出走45台、完走ゼロという過酷なコースでも知られる。開催地は象牙海岸に面したアビジャン。

珍しい話題には事欠かないラリーだったようだ。曰く、出場車が少なく最低出場台数の規定に満たないため、ゼッケンを付けたタクシーがスタート台から走っていってすぐにリタイアした、流された橋をクルーが直した、倒木を切って通り抜けた、アウディがミシェル・ムートンの車をコース途中でこっそりスペアカーにすり替えて、しかもバレた、などなど。

ティモ・マキネンのコ・ドライバーだったヘンリ・リッドンは87年、ラリー期間中のセスナ機墜落事故で命を落とす。

国内経済の低迷により92年が最後のWRC開催となった。

プレス・オン・リガードレス/POR(Press on Regardless、P.O.R)アメリカ  1973-1974


初開催は1949年。WRC開催は1973年と74年のみ。
アメリカ自動車産業の中心地デトロイトを起点とし、ミシガン半島北部を舞台として開催された。

73年はトヨタ・カローラが優勝。トヨタ初のWRC優勝となる。

74年にはロードセクションでスピード違反をした競技車両を、パトカーがSSの中まで追いかけ、あげくに保安官がラリーの中止を言い渡すという珍事が発生した。ラリーはこの日のステージをキャンセルして続行したが、次にアメリカで行なわれたオリンパス・ラリーまで12年のインターバルが空くことになる。

オリンパス(Olympus Rally)アメリカ 1986-1988


1973年から開催される。WRCは86~88年に開催され、シアトルやタコマがスタート地点となった。テレビ放送もされず、観客より報道陣の方が多かったという。ラリー人気の低いアメリカでの開催は厳しく、エントリー台数の確保や資金集めも苦労したようだ。

グループB時代の最終戦となった、86年オリンパス・ラリーをマルク・アレンが制してドライバーズチャンピオンを獲得、したはずだった。が、このラリーの1週間後、FIAはサンレモ・ラリーのポイントを無効とする裁定を下したため、チャンピオンの座はユハ・カンクネンの手に渡った。

86年は参加車両が51台だったが87年は47台、88年は29台(ワークスはランチアのみ)と減ってゆき、SSの観戦者も数百人という寂しい状況だったという。

88年が最後となり、以降アメリカ合衆国でのWRC開催はない。

モロッコ(Rally du Morocco/Rallye du Maroc) 1973-1976


初開催は1934年。WRCは73年から開催された。5000km以上を走破し、最長SSが786㎞もあった、サファリと並ぶ長距離イベントだった。ちなみに03年のキプロスラリーの総走行距離が1188km、SSの合計距離が341km。

アトラス山脈を越えるターマックやサハラ砂漠を走るグラベルなど、バラエティに富んだイベントでもあった。スペイン領サハラとの境界紛争により76年はルート変更を余儀なくされた。レッキ中のクルーが地雷原に入り込んでしまい、途中で気が付いて難を逃れたという事件も発生している。この政情悪化により、モロッコは1976年がWRCの開催された最後の年となった。

ポーランド(Polish Rally/Rajd Polski) 1973、2009, 2014-17


1921年に初開催。WRCは73年に開催された。旧東側で行われた初のWRC。翌年オイルショックのためWRCのカレンダーから落ちた。路面はグラベル。WRCから外れた後はERCなどで開催されていた。
73年は62台が参加したが完走はわずか3台。これは現在までの最低記録。2009年、36年ぶりにWRC開催。翌年はまたカレンダーから外れたが、ギリシアの経済危機の影響でアクロポリス・ラリーがカレンダーから落ち、ポーランド・ラリーが2014年からWRCに復帰した。

ブルガリア Rally Bulgaria (Рали България) 2010

1965年初開催。1970年からERCとして開催され、2010年WRCとして初開催。2011年以降はERCとして開催。路面はターマック。

オーストリアン・アルパイン・ラリー(Austrian Alpine Rally/Österreichische Alpenfahrt ) オーストリア 1973


正確な資料が見つからないが、1898年にオーストリアン・オートモビル・クラブが設立され、1910年に最初の「国際オーストリアン・アルプス・サーキット」が開催されたという記録がある。第二次世界大戦後は1949年から開催された。

WRCは73年のみ開催だが、以前はアルペン・ファールトという名称で、WRCの時は44回目の開催だった。同じ73年のモンテカルロ・ラリーが42回目の開催なので、それよりも歴史があったということになる。

温泉保養地バーデンを中心としたグラベルラリーで、地図の間違いがたくさんあり多くの混乱をもたらした。

ラリーの結果も、アルピーヌ・ルノーチームがロードセクションのルートを塞ぎ、他車の妨害をするという暴挙に出てアルピーヌが優勝したが、BMWの強い抗議で優勝はアキム・ヴァルムボルドに移った。もっとも、ヴァルムボルド/ジャン・トッド組もレギュレーション違反のサービスを受けていたのだが。

翌74年はオイルショックのため姿を消し、このラリーそのものも幕を閉じた。

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Posted by takumi-ya