ドライバー名鑑

2019年10月19日

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新井敏弘

Toshi Arai JP,M,1966/12/25,D
群馬県生まれ。97年全日本選手権チャンピオン。
97年オーストラリアでWRCデビュー。00年はスバルのワークスでWRCに参戦、サファリで6位、アクロポリスで4位、シリーズ13位。02年はキプロスで4位、シリーズ18位。
03年PCWRCで3勝、シリーズ2位。04年PCWRCで1勝、シリーズ2位。05年PCWRCで4勝し、日本人初の世界選手権チャンピオンに輝く。
06年はPCWRCシーズン1勝でシリーズ6位。
07年はPCWRCシーズン2勝で2回目の世界チャンピオン獲得。

新井大輝

Hiroki Arai JP,M,1993/8/2,D
新井敏弘の長男。トヨタの若手ラリードライバー育成プログラム「TOYOTA GAZOO Racing チャレンジプログラム」に選出され2015年から欧州のラリー選手権や全日本ラリー選手権に挑戦している。

アキ・テイスコネン

Aki O. Teiskonen FI,M,1981/6/25,D
03年からエストニアやイタリア、フィンランドのラリーに参戦。05年はPCWRCに参戦、シリーズ6位。06年PCWRCシリーズ5位。

アキム・ワルムボルド

Achim Warmbold WG,M,1941/7/17,D
WRC通算2勝。82~86年はマツダからスポット参戦、ロータリーのRX-7などをドライブしている。息子のアンソニー・ワルムボルドはフォード・フォーカスWRCで参戦している。

アーネ・ハーツ

Arne Hertz SE,M,1939/6/6,C
スティグ・ブロンクビストのコ・ドライバーとして1973年スウェディッシュでWRCデビュー。その後ビヨン・ワルデガルド、オベ・アンダーソンらのコ・ドライバーを務めたあと、ハンヌ・ミッコラと長くコンビを組む。
90~92年はアルミン・シュバルツ、94~97年は藤本吉郎のコ・ドライバーを務めた。

アッティリオ・ベッテガ

Attilio Bettega IT,M,1953/2/19 – 1985/5/2,D
19歳でラリーを始め、1978年サンレモでWRCデビュー。
1985年ツール・ド・コルスのSS4でコースオフ、立木に激突し死亡。
翌96年の同日、5月2日にはヘンリ・トイヴォネンとセルジオ・クレストもツール・ド・コルスの事故で死亡しており、カーナンバーも同じ4番だったため、ツール・ド・コルスでは95年までカーナンバー4が欠番になっている。

アブドゥール・バカシャブ

Abdullah Bakhashab SA,M,1968/9/26.D
WRCデビューは1998年TAP。WRCでの最上位は2000年アクロポリスの6位。

綾部美津雄

Mitsuo Ayabe JP,M,1947/8/10,D
60年代からラリー活動を開始。86,88,90,01年全日本選手権チャンピオン。

アラン・オレイユ

Alain Oreille FR,M,1953/4/22,D
サレ・ユニオン出身。WRCデビューは84年モンテカルロ。89年・90年プロダクションカー選手権(グループN)ドライバーズチャンピオン。89年はWRCアイボリーコーストをグループNカーで制してしまった。WRC通算1勝。

アリスター・マクレー

Alister McRae GB,M,1970/12/20,D
父親はジミー・マクレー、兄はコリン・マクレー。95年イギリス選手権チャンピオン。WRCでは未勝利。04年はPCWRCに参戦。

アリ・バタネン

Ari Vatanen FI,M,1952/4/27,D
フィンランド・ヨーンス出身。WRC通算10勝。81年WRCドライバーズチャンピオン。
85年のアルゼンチン・ラリーで瀕死の重傷を負い引退するが2年後に復活。舞台をWRCからパリ・ダカールに移し、3年連続優勝を含み4勝をあげ、”デザート・ライオン”(砂漠のライオン)の異名をとる。WRCにも復帰を果たしている。現在はEU議会フィンランド代表議員を務める。
03年フィンランド・ラリーでは選挙運動も兼ねて(?)1年落ちのワークススペック・プジョー206WRCで出場。窓から手を振って観客に愛想を振りまきながら余裕の11位。

アルミン・シュバルツ

Armin Schwarz DE,M,1963/7/16,D
ドイツ・オーベルライヒェンバッハ出身。前職はメカニック。アウディでハンヌ・ミッコラの車を担当していた。91年カタルニアが唯一の勝利。96年RACラリーでも勝っているがこの時はWRCタイトルがかかっていない。96年ERCドライバーズ・チャンピオン。87~88年ドイツラリー選手権チャンピオン。
メカニックのかたわら、20歳でラリーを始める。83年ラリーデビュー。
88年RACラリーでWRCデビュー、5位を得て注目される。このデビュー戦のコ・ドライバーは、ハンヌ・ミッコラのコ・ドライバーだったアーネ・ハーツ。
90年代前半はトヨタと三菱から、後半はフォードから参戦。01年サファリではシュコダに初の表彰台をもたらす3位を獲得。
02~03年はヒュンダイから参戦するもヒュンダイがシーズン途中でWRCから撤退。04~05年は古巣シュコダに戻り参戦。
05年を最後に引退。

アレックス・ベング

Alexandre Bengué FR,M,1975/12/22,D
99年ツール・ド・コルスでWRCデビュー。2005年はシュコダからスポット参戦。ターマックに強く、05年コルシカで6位、06年スペインで4位、コルシカ5位。

アレックス・フィオリオ

Alex Fiorio IT,M,1965/3/10,D
85年イタリア選手権チャンピオン。WRCでは未勝利だが88年のドライバーズ選手権3位、89年に2位の成績を残している。

アンジェロ・メデギーニ

Angelo Medeghini IT,M,1970/12/4,D
90年ラリーデビュー。WRCデビューは92年サンレモ。
05年はPCWRCに参戦、シリーズ7位。

アンソニー・ワルムボルド

Antony Warmbold  DE,M,1978/7/28,D
00年ラリーデビュー。WRCデビューは01年ポルトガル。
アキム・ワルムボルドの息子。
03~05年はフォーカスWRCをドライブ。最高位は05年メキシコ、イタリア、カタルニアの7位。

アンドリュー・コーワン

Andrew Cowan GB,M,1936/11/13-2019/10/15,D
スコットランド出身。アンドリュー・コーワン・モータースポーツ代表。
77年、ロンドンからシドニーへ45日かけて向かうラリーにメルセデス280Eで出場し優勝。
ニックネームは”鉄人”、”フライング・スコット”。
ドライバーを引退後は三菱ラリーアート監督を長く務める。三菱との出会いは1971年までさかのぼり、72年にはギャランでサザンクロス・ラリーに出場、総合優勝した。この勝利は三菱の国際ラリーでの最初の優勝だった。
05年までMMSPのスポーティングアドバイザーを務めていたが、05年10月末で引退した。2019年死去。

アンドレア・アギーニ

Andrea Aghini Lombardi IT,M,1963/12/29,D
トスカーナ地方リボルボ出身。84年ラリーデビュー。WRC通算1勝。
86年イタリア選手権グループNチャンピオン。
89年同選手権2位、90年チャンピオン。91年イタリア選手権2WDチャンピオン。92年マルティニ・レーシングから参戦、サンレモでWRC初優勝する。
94~95年はグリフォーネからWRCに参戦。94年と95年のツール・ド・コルス3位。
98,99年イタリア選手権チャンピオン。

アンドレアス・ミケルセン

Andreas Mikkelsen NO,M,1989/7/22,D
ノルウェー出身。2006年WRCデビュー。2015年ラリー・カタルーニャでWRC初勝利。通算3勝。

アンドレア・ダラビッラ

Andrea Dallavilla IT,M,1969/6/7,D
97年イタリア選手権チャンピオン。01年スーパー1600シリーズ2位。02年JWRCシリーズ2位。

アンドレアス・エイグナー

Andreas Aigner AT,M,1984/9/24,D

イアン・ダンカン

Ian Duncan KE,M,1961/6/23,D
ケニア・ナイロビ出身。79~80年ケニア・モトクロスチャンピオン。87~89年ケニアラリー選手権チャンピオン。94年にTTEから出場したサファリでWRC初優勝。トヨタのサファリ要員として有名。WRC通算1勝。

石田正史

Masashi Ishida JP,M,1956/8/5,D
全日本選手権02年シリーズ2位、03年3位。01年北海道ラリー優勝。

イゾルデ・ホルデリート

Isolde Holderied DE,F,1966/11/7,D
91年ドイツレディース選手権チャンピオン、94,95年レディースカップチャンピオン。94年FIAカップシリーズ2位、95年3位。

イブ・ルーベ

Yves Loubet FR,M,1958/10/31,D
アルジェリア出身。77年サンレモでWRCデビュー。87年・88年のツール・ド・コルスでの2位がWRC最高位。89年ERCドライバーズ・チャンピオン。

イルカ・キビマキ

Ilkka Kivimäki FI,M,1949/7/20,C
長い間マルク・アレンのコ・ドライバーを務める。現在はラリー・コーチング・スクールを開講。

岩瀬晏弘

Yasuhiro Iwase JP,M,1946/12/13,D
1980年からケニアのラリーに出場。1981年からサファリ・ラリーに参戦を始め、83年には総合6位、93年にはトヨタのワークスドライバーとしてサファリ・ラリーに出場、4位に入賞。オートスポーツイワセ主催。

インバー・カールソン

Ingvar Carlsson SE,M,1947/4/2,D
スウェーデン・ニイコピング出身。WRC通算2勝。74年TAPラリーでダットサン260Zを駆りWRCデビュー。BMWとメルセデスを経て、84年からマツダに在籍。89年スウェディッシュでWRC初優勝、同年ニュージーランドでも優勝。シリーズ7位。マツダの参戦縮小により91年の出場は3戦、それ以降は参戦がない。

ウーベ・ニッテル

Uwe Nittel DE,M,1969/5/29,D
96,97年はラリーアートから参戦。WRC未勝利。96年はFIAカップで2勝をあげるがシリーズ2位。若手有望株と期待されたが結果を残せず。

ウルモ・アーヴァ

Urmo Aava EE,M,1979/2/2,D
98年ラリーデビュー。98~00年、エストニア選手権F2チャンピオン。01年エストニア選手権ビッググループNチャンピオン。
WRCデビューは02年フィンランド。
03~06年はスズキからJWRCに参戦。03年はシリーズ5位、04年8位、05年4位、06年2位。07年、JRCシリーズ2位。07年はWRカーで3戦に参加。

エサペッカ・ラッピ

Esapekka Lappi FI,M,1991,1,17,D
フィンランド・ピエクサマキ出身。2011年フィンランドでWRCデビュー。
2012年フィンランドラリー選手権チャンピオン。2013年アジアパシフィックラリー選手権年間総合2位。2014年ヨーロッパラリー選手権チャンピオン。2016年WRC2チャンピオン。

2017年はトヨタのテストドライバーとなり、2017年第6戦ポルトガルからサードドライバーとして参戦。WRカー参戦4戦目となるフィンランドでWRC初優勝。

エルフィン・エバンス

Elfyn Evans GB,M,1988/12/28,D
2007年WRCデビュー。2016年WRC2総合3位。

エルベ・パニッツィ

Hervé Panizzi FR,M,1967/7/13,C
ジル・パニッツィの実弟。87年のデビュー戦以外はすべて兄のコ・ドライバーを務める。

エミル・トリナー

Emil Triner CZ,M,1961/3/15,D
チェコ出身。84年にシュコダでラリーデビュー。93年モンテカルロでWRCデビュー、同年アクロポリスでF2クラス優勝。94年アクロポリスでF2優勝。

エミル・ベルクヴィスト

Emil Bergkvist SE,M,1994/6/17,D
2010年からラリーに参戦。WRC初出場は2015年スウェーデン。2015年ジュニアヨーロッパラリーチャンピオン。2018年JWRCチャンピオン。

オィット・タナック

Ott Tänak EE,1987/10/15,D
エストニア出身。2009年ポルトガルでWRCデビュー。
2008~2009年のエストニアラリー選手権チャンピオン。2012年からMスポーツ・フォードで参戦。2017年イタリア・サルディニアでWRC初優勝。2018~19年頃までは名前の表記が「オット・タナク」になっていた。

オベ・アンダーソン

Ove Andersson SE,M,1938/1/3-2008/6/11,D
元TTE社長、トヨタ・モータースポーツGmbH(TMG)社長。トヨタF1統括責任者。WRC通算1勝。
南アフリカで行われたミリガンクラシックラリーの期間中、トラックと衝突し死亡。

カイ・リンドストローム

Kaj Lindström FI,M,1969/7/31,C
フィンランド・ミッケリ出身。99年イギリス選手権チャンピオン、タピオ・ラウッカネンのコ・ドライバー。
01年グレートブリテンより、負傷したリスト・マニセンマキに代わってトミ・マキネンのコ・ドライバーを務める。
04年は三菱でクリスチャン・ソルベルグのコ・ドライバー。05年はPCWRCのナタリー・バレットのコ・ドライバー。 06年スウェディッシュを最後に引退するが、2009年フィンランドでキミ・ライコネンのコ・ドライバーとして復帰。2010~11年もライコネンのコ・ドライバーを務める。2013~15年はヤリ・ケトマーのコ・ドライバー。2017年はトヨタでユホ・ハンニネンのコ・ドライバーを務める。

ガイ・ウイルクス

Guy Wilks GB,M,1981/1/22,D
02年スウェディッシュでWRCデビュー。03年からJWRCに参戦。03年はフォードで走りシリーズ7位。04年からスズキにスイッチ、シリーズ3位。
05年・06年もスズキで走り、シリーズ2位、4位。07年はフォーカスWRCでスポット参戦。2008年から12年まではIRCやイギリス選手権、ヨーロッパのローカルラリーに出場。

片岡良宏

Yoshihiro Kataoka JP,M,1961/5/18,D
神奈川県出身。83年からラリーを始める。
95年WRCグループNシリーズ7位。96年APRCグループNチャンピオン。98年APRCシリーズ2位。

勝田範彦

Norihiko Katsuta JP,M,1968/11/17,D
名古屋出身。全日本選手権02年シリーズ3位、03年2位。

勝田貴元

Takamoto Katsuta JP,M,1993/3/17,D
12歳からカートを始め、2010年フォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)に参戦。2014年から全日本ラリー選手権に参戦。2015年トヨタの若手ラリードライバー育成プログラム「TOYOTA GAZOO Racing チャレンジプログラム」に選出され欧州のラリー選手権や全日本ラリー選手権に挑戦している。

ガブリエル・ポッゾ

Gabriel Esteban Pozzo AR,M,1979/3/26,D
97年ラリーデビュー。WRCデビューは98年アルゼンチン。
01年グループNカップ・チャンピオン。

神岡政夫

Masao Kamioka JP,M,1957/12/23,D
富山県生まれ。82年ランサーで全日本ラリー選手権に参戦、24歳でチャンピオンを獲得。85、93年全日本選手権チャンピオン。
95年、WRCグループNシリーズ4位。1996年、ポルトガル4位、RACで2位(いずれもW2L)。

カラムジット・シン

Karamjit Singh MY,M,1962/1/29,D
93~95年マレーシアチャンピオン。01,02年APRCチャンピオン。02年PCWRCチャンピオン。

カルロス・サインツ

Carlos Sainz Cenamor ES,M,1962/4/12,D
スペイン・マドリード出身。87,88年スペイン選手権チャンピオン。90年APRCチャンピオン。90,92年WRCドライバーズチャンピオン。WRC通算26勝。
エル・マタドール(闘牛士)というニックネームのスペインの英雄。別名優勝請負人とも呼ばれる。
WRCのドライバーは自分でセッティングを突き詰めるタイプと、人任せのタイプがいるが、サインツは前者の代表格で、サスペンションのセッティングをミリ単位で追及したりする。自分でセッティングをしない代表格はトミ・マキネン(かな?)。
元はスカッシュの選手で、17歳の時にスペイン・チャンピオンを獲得している。大学では弁護士を目指していた。
10歳になる前からラリーには強い関心を持ち、将来はラリードライバーと決めていたという。
義兄のファン・カルロス・オノローが国内ラリーではトップドライバーになっており、そのコ・ドライバーだった”ファンフォ”ルッカルとシャリマール・ラリーに出場、総合23位でクラス優勝を飾る。
サーキットではルノーのワンメイク・レースにも出場しており、82年スペインのルノー5カップで優勝。83年にはフォード・フォーミュラ・チャレンジのスペイン・チャンピオンを獲得。84年11月、オペル・マンタ400でカタルニアのラリーに出場、総合2位を得て、これ以降ラリー一色の人生が始まったという。
87年スペイン選手権チャンピオン、ポルトガルでフォードに乗りWRCデビュー。
89年はトヨタからWRCに出場、シリーズ8位。90年アクロポリスでWRC初優勝、シーズン4勝をあげてWRCチャンピオン獲得。
91年は5勝をあげるがシリーズ2位。92年は4勝をあげ、2回目のWRCチャンピオン。
93年はプライベートのジョリー・クラブに移籍してランチア・デルタをドライブするが、”実質ワークス体制”になるはずのジョリー・クラブはマルティニがスポンサーを降り、アバルトは工場を92年夏に閉鎖していて、デルタの開発は完全に止まっていた。
サインツはこの年1勝もできずシリーズ6位。
94年はスバルに移籍、最終戦RACまでオリオールとチャンピオンを争うが、リタイアしてシリーズ2位。
95年は3勝をあげるがシリーズ2位。96年フォードに移籍、シリーズ3位。97年もフォードでシリーズ3位。
98年、古巣のトヨタに移籍、2勝をあげる。最終戦グレートブリテンでマキネンとチャンピオン争いとなったが、SS5でマキネンが路面のオイルに乗ってクラッシュ、リタイア。4位に入れば3度目のチャンピオンを獲得できるサインツのカローラWRCは、最終のSSマーガムの、ゴールまで300メートルの地点でエンジンがブロー、リタイア。チャンピオンを逃した。
99年もトヨタで走り、未勝利ながらトヨタのマニュファクチュアラータイトル獲得に貢献。
00年フォードに移籍。1勝をあげシリーズ3位。01年シリーズ6位。02年もフォードから参戦、アルゼンチンではトップで走っていたグロンホルムがゴール直前にレギュレーション違反で失格、1位でゴールしたバーンズも車両規定違反により失格。優勝がころがりこんできた。この年はシリーズ3位。
03年シーズン直前までシートが決まらず、ルイス・モヤとのコンビを解消してシトロエン入り。一時は引退も噂されていたが、この時サインツが最終戦まで優勝争いに加わるとは誰も予想していなかったに違いない。トルコで25勝目をあげてシリーズ3位。
03年グレートブリテンでのリタイア後に、04年シーズン末での引退を表明したがすぐに撤回、マタドールの闘志は衰えず。一時の爆発的な速さはもはや望めないが、03年14戦中リタイアがたった1回という完走率は驚異的。
04年はアルゼンチンでドライバー最多勝利となる26勝目をあげ、シリーズ4位。そしてカタルニアの前に引退を表明した。
最終戦オーストラリアではレッキ中にクラッシュ、ドクターストップにより最終戦の出場を断念し、引退となった。
05年、シトロエン入りしたフランソワ・デュバルの不振により、ギ・フレクランから要請を受けてトルコとアクロポリスに出場。
トルコでは4位、アクロポリスでは3位に入り、WRCに捧げた半生をポディウムフィニッシュで締めくくった。

ガレス・マクホール

Gareth MacHale IE,M,1980/8/12,D
アイルランド出身。2006年はフォード・フォーカスWRCで8戦に出場。2007年もフォーカスWRCでスポット参戦。

ギ・フレクラン

Guy Fréquelin FR,M,1945/4/2,D
WRC通算1勝。81年ドライバーズ選手権シリーズ2位。 1989年からシトロエン・スポール代表。07年を最後にチーム代表を引退。

キミ・ライコネン

Kimi Räikkönen FI,M,1979/10/17,D
2007年のF1チャンピオン。2009年のWRCラリー・フィンランドにスポット参戦。2010年はシトロエン・ジュニアチームから12戦、2012年は自身のチームから9戦に出場。最上位は2010年トルコの総合5位。

キョスティ・ハマライネン

Kyösti Hämäläinen FI,M,1945/9/16,D
WRC通算1勝。
フィンランド・ラリー前にひとりで数週間もレッキしてコースを全部覚え、ペースノートを使わず優勝した選手として知られる。

グスタボ・トレレス

Gustavo Trelles UY,M,1955/11/15,D
ウルグアイ・ミナス出身。96年から99年まで4年連続FIAカップチャンピオン。

クリス・アトキンソン

Christopher Atkinson AU,M,1979/11/30,D
オーストラリア・ニューサウスウェールズ州出身。父親と兄もラリードライバー。2003年アジパシにスズキから参戦、APRCスーパー1600チャンピオン獲得。2004年ラリー・ニュージーランドでWRCデビュー、APRCスーパー1600チャンピオン。2005年、スバルのワークスドライバーに抜擢され、シリーズ12位。06年シリーズ10位。07年シリーズ7位。
ステージ単位で見ればそこそこ速いドライバーだが3日間のラリーを通して良い結果があまり出ない。05年ジャパンと08年モンテカルロでの3位が最高位。

グレン・マクニール

Glenn MacNeall AU,M,1972/8/4,C
01年新井敏弘のコ・ドライバーを務め、04年オーストラリアから07年ポルトガルまでクリス・アトキンソンのコ・ドライバーを務めるが、突然引退、チーム離脱。ビジネスに専念したいとの理由だがポルトガルでの大クラッシュが引き金と思われる。08年PWRCで新井敏弘のコ・ドライバーを務める。

クリスチャン・ソルベルグ(ショーベリ)

Kristian Sohlberg FI,M,1978/2(3?)/15,D
02年PCWRCで2勝、シリーズ2位。03年は三菱からスポットで参戦。04年は三菱のセカンドドライバーとして6戦に出場するも、全戦リタイア。05年はフォーカスWRCとインプレッサWRCで3戦にプライベート出場。

クリス・ミーク

Kris Meeke GB,M,1979/7/2,D
ラリーデビューは00年。02年GBでWRCデビュー。03~05年はJWRCに参戦、03年シリーズ11位、04年7位、05年3位。2009~10年はIRCに参戦し09年はシリーズチャンピオン、10年はシリーズ3位。2011年は Mini WRC Teamから参戦するが2012年はチーム縮小でシートを失う。2014年シトロエンからフル参戦。2015年ラリー・アルゼンチンでWRC初勝利。通算3勝。
コリン・マクレーが才能を認め、サポートしていたドライバー。

クルツィシュトフ・ホロウツィク

Krzysztof Hołowczyc PL,M,1962/6/4,D
95,96,99年ポーランド選手権ドライバーズチャンピオン。97年ERCドライバーズチャンピオン。名前が読みにくいドライバーチャンピオン(私見)。

クレイグ・ブリーン

Craig Breen IE,M,1990/2/2,D
2009年WRCデビュー。2012年6月に行われたIRC第5戦タルガフローリオでコ・ドライバーのギャレス・ロバートが死亡するというアクシデントに見舞われるが自身とロバートの家族の希望もあり現役を続行。2012年SWRCチャンピオン獲得。2016年はアブダビ・トタル・ワールドラリーチームからスポット参戦しフィンランドを3位でフィニッシュ。

グレゴアール・ド・メビウス

Grégoire De Mévius BE,M,1962/6(4?)/16,D
ベルギー・ナムア出身。88年ベルギー選手権チャンピオン。88~91年はマツダから、92~94年は日産から参戦。WRC最高位は4位。01年グレートブリテンがWRC最後の出場。

ケネス・エリクソン

Kenneth Eriksson SE,M,1956/5/13,D
スウェーデン・アッペルボ出身。WRC通算6勝。
77年ラリーデビュー。80年スウェディッシュでWRC初参戦。86年VWワークスのゴルフを駆りグループAチャンピオン。87年コートジボアールでWRC初優勝、シリーズ4位。
88~89年はTTEに在籍。90~95年は三菱に在籍し、ギャランVR-4、ランサー・エボリューションを駆り3勝。
96~98年はスバル・インプレッサで2勝。95~97年APRCチャンピオン。
自動車の片輪走行距離の元世界記録保持者。

ケネス・ベックルンド

Kenneth Backlund SE,M,1963,D
90年スウェーデンラリー選手権グループNシリーズ4位、91年同選手権シリーズ3位。
93~95年スウェディッシュグループN優勝、93・94年スウェーデン選手権グループNチャンピオン。

コスティ・カタヤマキ

Kosti Katajamäki Fi,M,1977/2/26,D
ラリーデビューは97年。01年フィンランド選手権スモーググループNチャンピオン。
WRCデビューは01年フィンランド。02~03年はフォルクスワーゲンから、04~05年はスズキからJWRCに参戦。03年シリーズ9位、04年4位、05年5位。

小西重幸

Shigeyuki Konishi JP,M,1968/9/20,D
96年APRCグループNシリーズ3位。97年WRCグループNシリーズ4位。

コリン・マクレー


Colin Steele McRae GB,M,1968/8/5-2007/9/15,D
スコットランド・ラナーク出身。WRC通算25勝。95年、27歳の史上最年少でWRCドライバーズチャンピオンを獲得。
父は有名なラリードライバーのジミー・マクレー。弟もラリードライバーのアリスター・マクレー。もう一人兄弟がいるが、ラリーとは全く関係のない仕事をしている(ケータリング会社を経営)。
85年、運転免許を取得して2週間後にタルボ・サンビームロータスでラリーデビュー。86年ボクゾールでスコットランド選手権クラスチャンピオン。87年イギリス選手権に参加、クラスチャンピオン。88年スコットランド選手権チャンピオン。89年、シエラ・コスワースでWRCに3戦出場、ニュージーランドで5位。91年、レガシィでイギリス選手権に参戦、4勝を挙げチャンピオン獲得。92年イギリス選手権で全勝、チャンピオン。
87年スウェディッシュでWRCデビュー、クラス3位、総合36位。91年最終戦のRACでスバルから参戦、一時はトップに立つがリタイア。92年スウェディッシュでは2位、1000湖では伝説となった「ステージ毎に車体の形が変形していく」ラリーを披露、転倒に次ぐ転倒をものともせず道幅を目一杯使ってアクセル全開、その迫力たるや年季が入ったカメラマンたちも腰が引けて後ずさりするほどだったという。
93年ニュージーランドでレガシィを駆りWRC初優勝、これはスバルにとってもWRCで初めての優勝。この年軽自動車のヴィヴィオでサファリ参戦。一時セリカの前を走るもリタイア。
94年はスバル・インプレッサで参戦、シリーズ4位。95年、2勝をあげてWRCドライバーズチャンピオン。96年は3勝をあげるがシリーズ2位。この年、英国よりMBE勲章を授与される。97年は5勝をあげるが1ポイント差でシリーズ2位。
98年は3勝してシリーズ3位。
99年、フォードに移籍。サファリとポルトガルで2連勝をあげるが、中盤戦アルゼンチンから最終戦GBまで8回連続リタイア。翌年モンテカルロでもリタイアし、9連続リタイアという不名誉な記録を作ってしまった。
00年は2勝をあげてシリーズ4位。
01年は3勝をあげるが、コルシカでの大クラッシュが尾を引き2ポイント差でシリーズ2位。
02年は2勝をあげ、通算勝利数を25に伸ばし、シリーズ4位。
03年にシトロエンに移籍するが未勝利に終わり、04年はシートを失う。
05年GBとオーストラリアにシュコダからスポット参戦。オーストラリアでは決して戦闘力が高いとはいえないシュコダ・ファビアを駆り、LEG3でリタイアするまで2位を走り、その存在を誇示した。
2006年怪我で欠場したセバスチャン・ローブの代役としてトルコに出場。これが最後のWRC参戦となった。
2007年9月15日、自身の操縦するヘリコプターがスコットランド・ラナークの自宅近くで墜落、マクレーとマクレーの長男ジョニー、マクレー父子の友人の2人を含め搭乗者4人全員が死亡。
かつてマックラッシュというニックネームを奉られた破天荒な走り、原形をとどめぬほどボコボコに変型した車でブチ切れたように激走するマクレーの姿を見ることは、もう叶わぬ夢となってしまった。
『アクセルでも何でも、ペダルと名の付くものは床まで踏め!』とはマクレーの言。

桜井幸彦

Yukihiko Sakurai JP,M,1953/11/28,D
87,89,94~96年全日本チャンピオン。

サビエル・ポンス

Xavier Pons Puigdillers ES,M,1980/1/21,D
名前はクサビエやチェビーといった表記も見られる。2003年スゥエディッシュでWRCデビュー。2005年当初はPCWRCに参加したが、アクロポリスからプライベートのOMVクサラでWRカーにスイッチ。06年はクロノス・シトロエンからジャパンを除く15戦に参戦、シリーズ7位。07年は前半三菱、フィンランドから残り8戦でスバルの3台目を走らせる。08年もスバルで走る予定だったがスバルのWRC撤退によりシートを失う。2010~14年は年間数戦、プライベートチームから参戦している。

サルバドール・カニェヤス

Salvador Cañellas Pujals ES,M,1974/1/17,D
03年JWRCシリーズ2位。

サンドロ・ムナーリ

Sandro Munari IT,M,1940/03/27,D
WRC通算7勝。67、69年イタリアチャンピオン。73年ERCチャンピオン。ランチア・ストラトスのドライバーとして有名。

シェカー・メッタ

Shekhar Mehta KE,M,1945/06/20-2006/4/12,D
ケニア・カンパラ出身。現在は英国籍。WRC通算5勝はダットサン/日産を駆り、サファリで73年と79~82年に優勝。04年までFIAラリー委員長。
06年FIAラリー委員長に復帰後、急死。

篠塚建次郎

Kenjiro Shinozuka JP,M,1948/11/20,D
東京都出身。WRCで優勝している唯一の日本人。WRC通算2勝。APRCが始まった88年の初代チャンピオン。パリ・ダカールで有名。
67年国内ラリーにデビュー。70年から三菱のワークス・ドライバーとして活躍。71年JMSチャンピオン。
オイルショックのため三菱が国内ラリーから撤退したため、74年サザンクロスに参戦。
76年サファリでWRCデビュー。91年・92年連続してコートジボアールで優勝。
06年のパリ・ダカールを最後に引退を表明。

ジジ・ガリ

Gigi(Gianluigi) Galli IT,M,1973/1/13,D
00年イタリア選手権グループNで10戦中7勝、ドライバーズチャンピオン。愛称のジジはジャンルイジを縮めたもの。
04~05年は三菱から参戦。06~07年は三菱のWRC活動休止のためシートを失い、プライベート参戦に留まる。06年スウェディッシュではダニエル・カールソンと3位争いを展開し、ステージ毎に順位が入れ替わる白熱したバトルだった。
08年はストバート・フォードからフル参戦。

ジミー・マクレー

Jimmy McRae GB,M,1943/10/28,D
81,82,84,87,88年英国選手権ドライバーズチャンピオン。WRCでは未勝利。コリンとアリスターのマクレー兄弟の父。

シモン・ジャン-ジョセフ

Simon Jean-Joseph FR,M,1969/6/9
フランス国籍だが南洋系の血が入った”カリブの怪人”。ターマックでの速さは相当なものだが、あまりチャンスに恵まれていない。JWRCに参加していたが年齢制限のためポイント外。しかし他のJWRCドライバーとは格の違うスピードを見せつけていた。

ジャン-クロード・アンドリュー

Jean-Claude Andruet FR,M,1942/8/13,D
WRCの初戦、1973年モンテカルロ・ラリーの勝者。WRC通算3勝。本業は弁護士。

ジャン・トッド

Jean Todt FR,M,1946/2/25,C
現・F1フェラーリ監督。オベ・アンダーソンやティモ・マキネン、ギ・フレクランのコ・ドライバーとして活躍。

ジャンーピエール・ニコラ

Jean-Pierre Nicolas FR,M,1945/1/22,D
フランス・マルセイユ出身。21歳でラリーに初参加。70年のモンテカルロ・ラリーで3位に入り注目される。73年ツール・ド・コルスで初優勝。WRC通算5勝。愛称は”ジャンボ”。
05年2月からコラード・プロベラの後を継いでプジョーチーム監督を務めた。

ジャン・ラニョッティ

Jean Ragnotti FR,M,1945,D
67年ラリーデビュー。WRC通算3勝。
81年モンテカルロでWRC初優勝。82、85年のツール・ド・コルスで優勝。ルノー乗りとしても有名。

ジル・パニッツィ

Gilles Panizzi FR,M,1965/9/19,D
モナコとサンレモの間の街、マントン出身。南ヨーロッパのターマックラリーでの強さは圧倒的で、”ターマック・キング”の称号を奉られる。
96,97年フランス選手権ドライバーズチャンピオン。WRC通算7勝。99年からプジョーのターマックイベント要員として活躍。
04年は三菱からシリーズフル参戦のはずだったが、三菱がシーズン途中で撤退。05年は三菱で5戦のみ出場。06年はレッドブル・シュコダから参戦するが2戦のみ出場してチームを離れる。

スティグ・ブロンクビスト

Stig Blomqvist SE,M,1946/9/27,D
スウェーデン・Örebro出身。ラリーデビューは64年。73年スウェディッシュでサーブ96V4を駆りWRC初優勝。WRC通算9勝。84年WRCドライバーズチャンピオン。03年PCWRC1勝、シリーズ3位。WRCの出場は2006年スウェディッシュが最後になるが、2017年現在もローカルラリーに参加している。

ステファン・サラザン

Stéphane Sarrazin  FR,M,1975/11/2,D
フランス・アレス出身。カート、F3、F3000、ル・マン24時間レースなどサーキットを主戦場とし、またF1のテストドライバーを5年務めた。
00年Rallye du Var(ドュ・ヴァー、ERCの一戦)をグループNランサーで走りクラス優勝、総合7位。ちなみにこのラリーの優勝はセバスチャン・ローブ。01年同ラリーで総合優勝。
04年はスバル・インプレッサでWRCに3戦参加、カタルニアではワークス・インプレッサを抑えて4位に入り、一躍注目を浴びる。
05年もスバルから参戦、シリーズ17位。

ステファン・プレボ

Stéphane Prévot BE,M,1969/1/7,C
ベルギー・ヒュイ出身。長くブルーノ・ティリーのコ・ドライバーを務め、03年からフランソワ・デュバルとコンビを組む。
05年にシトロエンに移籍してからデュバルとの関係が悪化、キプロスを最後にコンビを解消。07年アルゼンチンからクリス・アトキンソンのコ・ドライバーを務める。

スベン・スミーツ

Sven Smeets BE,M,1972/5/12,C
ベルギー・ハッセルト出身。95年からフレディ・ロイクスのコ・ドライバーを務める。
05年、シトロエンのフランソワ・デュバルとステファン・プレボの関係が悪化したため、アルゼンチンからデュバルのコ・ドライバーを05年最終戦まで務める。
2016年8月からフォルクスワーゲン・モータースポーツのディレクターに就任。

セドリック・ロベール

Cédric Robert FR,M,1973/3/17,D
ラリーデビューは89年。WRCは96年モンテカルロが初出場。
04年、ドイツとコルシカでプジョーからセカンドノミネートでワークスの307WRCをドライブ。

セバスチャン・リンドホルム

Sebastian Lindholm FI,M,1961/1/30,D
90,93,95,00,02,03年フィンランド選手権チャンピオン。WRCでの最上位は97年フィンランドの4位。

セバスチャン・オジェ

Sébastien Ogier FR,M,1983/12/17,D
フランス・ギャップ出身。2008年、JWRCに参戦しシリーズチャンピオン。2008年GBでWRC初参戦。2010年ポルトガルでWRC初勝利。
2011年の第7戦アクロポリスのDAY2、セバスチャン・ローブのタイムをチームが1位を走っていたオジェに伝え、翌日の路面掃除を嫌ったオジェがペースダウンし2位に後退。結果ローブは3日間路面掃除をして2位。この一件が元になってチームに亀裂が入り、2012年オジェはシトロエンを放出される。
2012年はVWの開発をしながらシュコダ・ファビアS2000で参戦。2013年からVWポロをドライブし2016年まで4年連続でドライバーズチャンピオンを獲得。この4年間の53戦中31回の勝利を記録する(VWは43勝)。2017年はVWのWRC撤退に伴いMスポーツへ移籍。

セバスチャン・ローブ

Sébastien Loeb FR,M,1974/2/26,D
フランス・オーベルフォフェン出身。WRC通算78勝、勝利数歴代1位。04~12年WRCドライバーズチャンピオン。2013年は4戦のみ出場、2013年で現役引退。2015年モンテカルロでスポット参戦。
WRC出場169戦中、1位78回、2位29回、3位9回。勝率46.1%、3位以内は68.6%。リタイア21回(12.4%)。

体操競技でオリンピック出場を目指していたが、体操選手としてのピークとオリンピック開催年のタイミングが合わずラリードライバーに転向。
95年ラリーデビュー。97年プジョー106カップに出場。98年サクソ・キットカートロフィーで3勝。
99年フランス自動車連盟のヤングホープチームからコルシカとサンレモに参戦してどちらもクラス優勝。またサクソ・キットカートロフィーでは4勝をあげてシリーズチャンピオン。
00年、フランス・グラベル選手権に出場、2WDクラスでチャンピオン。カローラWRCでコルシカ、サンレモに参戦。
01年、クサラ・キットカーでフランス選手権チャンピオン、スーパー1600ドライバーズチャンピオン。
02年、シトロエンの3rdドライバーとしてWRC9戦に出場、初戦モンテカルロでは1位でゴールし、いったんはトロフィーを受け取ったものの、車両規定違反のペナルティで2位に後退。同年ドイツで初勝利をあげる。
03年はシトロエンからフル参戦、14戦中3勝をあげるが1ポイント差でシリーズ2位。
04年、16戦中優勝6回、2位が6回とシリーズを圧倒。2位以下に大差をつけて初のWRCドライバーズチャンピオンを獲得。
05年は全16戦。開幕戦モンテカルロで優勝(モンテで3連勝)のあと、スウェディッシュとメキシコは落とすが、ニュージーランドからアルゼンチンまで6連勝。その後も3勝をあげ、シリーズ10勝。最多連勝記録、最多シーズン勝利記録を塗り替え、チャンピオン獲得。
(ラリーGBは死亡事故が起こってしまい、トップにいたローブはここで優勝するとシリーズチャンピオンが確定するため、それを避けるべく自らペナルティを受けて3位に後退し、勝利数を減らしている)
加えてコルシカでは12のSS全てを制覇して勝利。これもWRC始まって以来の快挙。続くカタルニアでもSS1と2を制し、連続SSベストを14まで更新。シェイクダウンまで入れたら15回連続ベスト。
06年はシトロエンの参戦休止を受けてプライベートチームのクロノスで走り、全16戦中12戦目のキプロスまでに優勝8回、2位4回を獲得するがトルコ・ラリーの前に自転車でトレーニング中、転倒して骨折。残り4戦を欠場したが、2位のグロンホルムがオーストラリアでマシントラブルに見舞われポイントを失い、結果1ポイント差でローブがシリーズ優勝。自宅でテレビを見ながらチャンピオンを獲得した。
07年はシトロエンがワークスに復帰、マシンはクサラからC4にスイッチ。シーズン序盤からグロンホルムと2強の争いとなり、第15戦アイルランドでグロンホルムを逆転。そのまま逃げ切って4年連続のWRCドライバーズチャンピオンを獲得した。16戦中8勝。
08年は15戦中11勝し5回目のドライバーズチャンピオン獲得。ローブが最強の好敵手と認めるマーカス・グロンホルムが07年で引退したこともありライバル不在で独走。
09年は12戦中7勝するがミッコ・ヒルボネンとわずが1点差で王者の座を死守。
10年は13戦中8勝で7回目のドライバーズチャンピオン獲得。
11年はシトロエンDS3にスイッチ、13戦5勝で8回目のドライバーズチャンピオン。
12年は13戦9勝で9回目のドライバーズチャンピオン。
13年は4戦のみの出場で2勝、ドライバーズランキング8位。現役最後のラリーフランスはクラッシュしてリタイア。
02年からのWRC参戦以来、23箇所の開催地で優勝。優勝経験がないのはサファリやポーランドなどごくわずか。
どんなときも沈着冷静なため、アイスクール・セブというニックネームが付いた。

セッポ・ハルヤンネ

Seppo Harjanne FI,M,1948/2/28,C
長くティモ・サロネンのコ・ドライバーを務めたあと、トミ・マキネンとコンビを組む。98年にリスト・マニセンマキにスイッチするまで、マキネンに”勝利の方程式”を伝授し続けた。

田口勝彦

Katsuhiko Taguchi JP,M,1972/2/7,D
岡山県出身。98年マレーシア選手権チャンピオン、99年APRCチャンピオン。ラリーアート所属。

田嶋伸博

Nobuhiro Tajima JP,M,1950/6/28,D
石川県出身。スズキスポーツ代表。別名”モンスター田嶋”。88年、オリンパス、マレーシアで5位。95年ニュージーランドでF2 クラス2位、オーストラリアでF2優勝。95~98年APRC・F2カップチャンピオン。
フロントとリアにエンジンを積んだマシンで参加したヒルクライムレースでも有名。94年パイクスピーク・ヒルクライム2位、95年優勝。
2008年からスズキのWRCチームを率いる。

ダニエル・エレナ

Daniel Elena MC,M,1972/10/26,C
モンテカルロ出身。1999年カタルニアからセバスチャン・ローブのコ・ドライバー。1998年モンテカルロ・ラリーはドライバーとしてプジョー106で走り、グループN2位。

ダニエル・カールソン

Daniel Carlsson SE,M,1976/6/29,D
スウェーデン・カールスタッド出身。次世代エース候補のひとり。2001年スウェディッシュでSS4位のタイムを2度刻み、最終順位は7位に入って。注目を集める。04年はプジョーからスポットで参戦。
05年はボジアンからプライベート参戦。シーズン途中で出場を取りやめたマルコ・マルティンに代わり、日本とオーストラリアでワークスカーをドライブ。06年は三菱で2戦、07年はOMVクロノスからスポット参戦するがサルディニアでスタートはしたもののSS1前に撤退。FIAはカールソンに対し07年のWRC参戦について失格の裁定を下した。

ダニエル・グラタルー

Daniel Grataloup FR,M,1960/5/19,C
フランス・リヨン出身。ブルーノ・サビーのコ・ドライバーを務めたあと、長年フランソワ・デルクールのコ・ドライバーを務める。2001年・2002年のオーストラリアで、クラッシュのため2年連続で病院送りになってしまった。現在はシトロエンのスタッフを務める。

ダニエル・ソラ

Daniel Solà Villa ES,M,1975/1/3,D
スペイン・Vic出身。02年JWRCチャンピオン。04年は三菱から参戦する。

ダニエル・ソルド

Daniel Sordo Castillo ES,M,1983/5/2,D
1983年スペイン・カンタブリア州トレラベガ出身。96年モトクロス地方選手権チャンピオン(13歳)。97~98年カート地方選手権チャンピオン。99~00年、ヒルクライムレースのカンタブリアマウンテン選手権でチャンピオン。
01年からラリーを始め、カンタブリア地域選手権やスペイン・ターマック選手権に出場。
03~04年スペイン・ジュニア選手権チャンピオン。03年カタルニアでWRCデビュー(グループNで2位)。
05年、カルロス・サインツの支援を受けJWRCに参戦し4勝、チャンピオン獲得。 スペイン選手権で4勝、チャンピオン。
06~08年はシトロエンのセカンドドライバーとして参戦。06年2位を2回獲得、シリーズ5位。07年2位を4回獲得、シリーズ4位。

ダリオ・チェラート

Dario Cerrato IT,M,1951/9/28,D
イタリア、コルネリアーノ・ダルバ出身。74(75?)年、オペル・アスコナでWRCデビュー。 85、87年ERCドライバーズ・チャンピオン。86、88~91年イタリア選手権チャンピオン。WRCでの最高位は3位。幻の2位となったのは86年サンレモ。

ティエリー・ヌーヴィル

Thierry Neuville BE,M,1988/6/16,D
ベルギー出身。2010年JWRCに参戦、2012年はシトロエンのジュニアチームとカタールワールドラリーチームからWRCフル参戦。2013年はカタールワールドラリーチームから参戦し未勝利ながらシリーズ2位。2014年はヒュンダイから参戦しドイツでWRC初勝利。

ディディエ・オリオール

Didier Auriol FR,M,1958/8/18,D
フランス・モンペリエ出身。94年WRCドライバーズチャンピオン獲得。WRC通算20勝。ツール・ド・コルスで6勝している、コルシカ・マイスター。元の職業は救急車の運転手。フランス国内選手権86、87、88年チャンピオン。87年フォード・ワークス入り。89年ランチアに移籍。91年ジョリー・クラブヘ移籍。
兄であり、のちにオリオールのグラベルクルーになるジェラルドに連れられて、フランスの生家の近くで行われていたモンペリエ・ラリーによく連れて行かれたという。21歳でラリー初参戦。84年ツール・ド・コルスでWRCデビュー。コルスでは84、85、86年の3年連続してリタイアに終わるが、87年8位、88年にWRC初優勝をコルスで飾る。93年にトヨタに移籍、94年、フランス人として初めてWRCドライバーズチャンピオン獲得。95年もトヨタで参戦するがレギュレーション違反のリストリクターが発覚、トヨタが出場停止処分となり96年はシートを失う。97年フィンランドでトヨタが復帰、99年までトヨタから参戦。00年はセアト、01年はプジョーから参戦。02年はシートを失い、翌03年はシュコダから参戦するが04年以降はレギュラーシートを失う。
08年からIRCに参戦している。

ティナ・ソーナー

Maria Christina Thörner SE,F,1966/2/24,C
スウェーデン・キルボ出身。日本語表記はターナーだったり、トーナーだったりする。女性コ・ドライバーとして非常に多彩なキャリアを誇る。イゾルデ・ホルデリート、ウーベ・ニッテル、トーマス・ラドストローム、ケネス・エリクソンらとコンビを組む。アリ・バタネンやユタ・クラインシュミットらとパリ・ダカールにも出場している。05年、マティアス・エクストロームと結婚。

ティモ・サロネン

Timo Salonen FI,M,1951/10/8,D
フィンランド・ヘルシンキ出身。WRC通算11勝。85年WRCドライバーズチャンピオン。マツダのWRC初勝利はサロネンの手による。

ティモ・ヨキ

Timo Jouhki FI,M,D
77年1000湖ラリーで9位(グループ2で2位)が最高位。現在はヨキ・コネクション、スオミ・コネクションと呼ばれるフィンランドのモータースポーツ選手育成組織プロモ・レーシング代表。

ティモ・マキネン

Timo Mäkinen FI,M,1938/3/18 – 2017/5/4,D
フィンランド・ヘルシンキ出身。路面によってタイヤを使い分けた最初の人物。WRCでの通算は4勝だが、それ以前のラリーでは数多くの勝利をあげている。トミ・マキネンとは血縁関係ではない。

ティモ・ラウティアイネン

Timo Rautiainen 1964/11/13,C
フィンランド・エスポー出身。マーカス・グロンホルムのコ・ドライバーを長く務める。妻はグロンホルムの妹。

ディーン・ヘリッジ

Dean Herridge 1976/8/23,D
2006年オーストラリアで総合8位(グループN3位)。

テーム・スニネン

Teemu Suninen FI,M,1994/2/1,D

フィンランド出身。ゴーカートでモータースポーツを始め、2012年ヨーロッパラリークロス選手権に参戦。2013年からラリーに転向し2016年WRC2シリーズ2位。

デビッド・リチャーズ

David Richards GB,M,1952/6/3,C
1981年、アリ・バタネンがドライバーズチャンピオンを獲得したときのコ・ドライバー。プロドライブ代表。元SWRT代表。97~98年ベネトンF1監督。元BARホンダのF1チーム代表。
WRCのテレビ放映権を持つISC代表。95年頃からWRCのイベント規模を縮小し、年間のイベント数を増やすことに情熱を燃やす。その意図はテレビ放送を増やすことにあるが、歴史のあるステージが次々と消え、わけのわからないレギュレーションができては消え、ラリー関係者を混乱させる。

デニス・ジロウデ

Denis Giraudet FR,M,1955/12/16,C
フランス・ロレッテ出身。ディディエ・オリオールのコ・ドライバーを長く務める。02年にオリオールがシートを失ったときはトマス・ラドストロームのコ・ドライバーとなったが、03年オリオールがシュコダに加入し再びコンビを組む。

デニス・ラドストローム

Dennis Rådström SE,M,1995/12/11,D
2012年からスウェーデンのラリーに出場。WRCは2017年ツール・ド・コルスが初出場。2018JWRCでシリーズ2位。
トーマス・ラドストロームとは血縁関係にない。

デレク・リンガー

Derek Ringer GB,M,1956/10/11,C
イギリス・グラスゴー出身。87年よりコリン・マクレーのコ・ドライバー。96年シーズン終了をもって長年のコンビを解消するが、02年オーストラリアより再びコンビを組む。一時期田口勝彦のコ・ドライバーも務めた。

トニ・ガルデマイスター

Toni Gardemeister FI,M,1975/3/31,D
フィンランド・コウボラ出身。フィンランド自動車連盟の支援で英才教育を受ける。96年1000湖でWRCデビュー。
93年からラリーを開始。98年セアト・イビザ・キットカーで参戦。
97年は日産サニーGTIでフィンランド選手権スモールグループAチャンピオンを獲得。
99年と00年はセアトのワークスドライバーとしてWRカーを駆る。01年はワークスシートを失いスポット参戦。02年から04年までシュコダのワークスドライバー。
05年はフォードのファーストノミネートドライバーとして全16戦をドライブ。モンテカルロ、アクロポリス、ツール・ド・コルスで自身最上位となる2位に入賞、シーズン4位。
06~07年はワークスシートを失いスポット参戦に留まるが、08年スズキワールドラリーチームのファーストドライバーに抜擢される。
09年はスズキのWRC撤退のためIRCに参戦。

トニー・サーカム

Tony Sircombe NZ,M,1960/7/26,C
ポッサム・ボーンやハメド・アル-ワハイビらのコ・ドライバーを務めたあと、01年GBから新井敏弘とコンビを組む。07年まで新井のコ・ドライバーを務め引退。

トマス・クッヒャー

Tomasz Kuchar PL,M,1976/7/16,D
01年ERCチャンピオン。

トーマス・ラドストローム

Thomas Rådström SE,M,1966/1/22,D
スウェーデン・ウーメア出身。前職はメカニック。96年スウェーデン選手権チャンピオン。WRCでは01年スウェーデンの2位が最高位。
84年にラリークロスを始める。89年ジュニアラリー銀メダル。91年同金メダル、92年同銅メダル。
93年TTEに加入、スウェディッシュで8位。95年スウェディッシュで3位。
スカンジナビア電気自動車ラリーでRAV4EVに乗り優勝。
積雪路でのマシンコントロール能力は抜群だがちょっとしたミスでコースアウトしてしまったり、99年サファリではナイロビに到着してホテルの階段で転び骨折、療養を余儀なくされるなど(このためペター・ソルベルグが代打で出場)、不運とポカミス半々でせっかくのチャンスをふいにしてしまった印象が強い。

トミ・マキネン

Tommi Antero Mäkinen FI,M,1964/6/26,D
フィンランド・プーポラ出身。96年から99年まで4年連続WRCドライバーズチャンピオン獲得。WRC通算24勝。
85年、ノキアラリーでラリーデビュー。
87年1000湖ラリーにグループNのランチア・デルタ・インテグラーレでWRCデビュー、車が進行方向に向かって縦回転するという壮絶なクラッシュでリタイア。
90年、三菱ギャランでグループN3勝。
91年、1000湖にマツダ323で出場、5位。93年、チーム・アストラでWRC3戦に出場。94年は日産サニーでイギリス選手権に出場。
94年フォードから1000湖にスポット参戦し、WRC初優勝。
95年に三菱に移籍。96年は5勝をあげてWRCドライバーズチャンピオン獲得。
02年、7年間在籍した三菱を離脱してスバルに移籍。2003年引退。
フィンランド5連勝、モンテカルロ4連勝など数々の記録を持つ、史上最高のドライバーのひとり。
家は農場。トラクター競争のフィンランド選手権チャンピオンでもあり、同じ農場主のマーカス・グロンホルムはトラクターでもライバルだ。
引退後はトミ・マキネン・レーシングを主催し、若手ラリードライバーの育成に力を注ぐ。
04年ラリー・ジャパンで0カーのドライバーを務めた。
2015年、TOYOTA GAZOO Racingチーム代表に就任。

ナサール・アル-アッティーヤ

Nasser Saleh Al-Attiyah QA,M,1970/12/21,D
03年中東ラリー選手権チャンピオン。
WRCデビューは04年スウェディッシュ。04~05年はPCWRCに参戦。05年はPCWRCアルゼンチンで優勝、シリーズ2位。
06年PCWRC2勝、シリーズチャンピオン。

ナタリー・バラット

Natalie Frances Barratt GB,F,1975/3/6,D
96年ラリーデビュー。WRCは98年GBが初出場。05年はOMVのサポートでPCWRCに参戦。

西山 寛

Hiroshi Nishiyama JP,M,1945/6/19,D
64年にトヨタ・クラウンでラリーデビュー。
85年に香港~北京ラリーに出場。WRCデビューは88年ニュージーランド。89年はモンテカルロなど4戦に出場。92年アイボリーコーストでグループN優勝、シリーズ2位。

ニッキー・グリスト

Nicky Grist GB,M,1961/11/1,C
ウェールズ・アバーガベニー出身。ルイス・モヤと共に、日本ではいちばん知名度の高いコ・ドライバーのひとり。ゴルフの腕はプロ級でレッスンプロもしていたという。
1985年RACでWRCデビュー。90~91年はマルコム・ウイルソンとコンビを組んだ。キャリアが脚光を浴びたのは93年。アルゼンチン・ラリーの直前にユハ・カンクネンのコ・ドライバー、ユハ・ピロネンが脳血栓で倒れたため、アルミン・シュバルツのコ・ドライバーだったグリストが急遽抜擢された。短いレッキでラリーに臨んだが結果は優勝。この年のカンクネンはその後デニス・ジロウデと組んだり、またグリストに変わったりと忙しいシーズンを送った末、ドライバーズチャンピオンを獲得している。
カンクネンとのコンビは96年まで続き、97年からコリン・マクレーのコ・ドライバーを務めるが、02年のニュージーランドで突然コンビを解消した。
05年、コリン・マクレーがシュコダからスポット参戦し、再びコンビを組む。

ニコラ・ベルナルディ

Nicolas Bernardi FR,M,1977/5/16,D
96年ラリーデビュー。WRCデビューは1998年モンテカルロ。2004年はJWRCに参戦、2勝をあげシリーズ2位。
05年はプライベートの206WRCで2戦に出場したあと、マルコ・マルティンの代役としてコルシカとカタルニアにワークス出場。

ニコラス・ブイヨス

Nicolas Vouilloz FR,M,1976/2/8,D
マウンテンバイクの元世界チャンピオン。
ラリーデビューは2000年。01年モンテカルロでWRCデビュー。04年はボジアンの206WRCを7戦でドライブ。05年はファビアWRCで2戦に出場。

奴田原文雄

Fumio Nutahara JP,M,1963/12/20,D
99,00,02,03年全日本シリーズチャンピオン。国内ではもっとも実力のあるドライバーのひとり。04年からPCWRCに参戦。05年PCWRCシリーズ4位。06年PCWRCで3勝を挙げるがシリーズ2位。07年は未勝利でシリーズ7位

パウリ・トイボネン

Pauli Toivonen FI,M,1929/4/22-2005/2/14,D
フィンランド・ユバスキラ出身。1962年フィンランド選手権チャンピオン。1968年ヨーロッパ選手権チャンピオン。
ヘンリとハリのトイボネン兄弟の父親。05年に逝去。

パーボ・ルカンダー

Paavo Lukander FI,M,1961/3/26,C
フィンランド・ベルケアラ出身。96年から04年カタルニアまでトニ・ガルデマイスターのコ・ドライバーを務める。

パー・ガンナー・アンダーソン

Per-Gunnar Andersson SE,M,1980/3/10,D
99年ラリーデビュー。WRCデビューは02年スウェディッシュ。03年スウェディッシュ選手権スモールグループAチャンピオン。
04年はJWRCトルコ、フィンランドと連続優勝し、JWRCチャンピオン。05年はJWRCで1勝、シリーズ6位。06年JWRCシリーズ3位、07年JRCチャンピオン。
08年はスズキワールドラリーチームから参戦。

パトリック・スナイヤーズ

Patrick Snijers BE,M,1958/1/29,D
ベルギー出身。77年ラリーデビュー。83~85、88、91、93、94年ベルギー選手権チャンピオン。94年ERCチャンピオン。WRC最上位は93年にプライベート出場で獲得したサンレモの3位。

パトリック・タウジャック

Patrick Tauziac FR,M,1955/1/18,D
南ベトナム(当時)・サイゴン生まれ。WRC通算1勝。84年のコートジボアールでWRCデビュー、以降の参戦9回はすべて三菱車でコートジボアールへ出場。90年にギャランVR-4で優勝している。

パトリック・ベルナルディーニ

Patrick Bernardini FR,M,1963/6/18,D
コルシカ島出身。84年BMWグループNでラリーデビュー。90年モンテカルロでWRCデビュー。
94,95年フランス選手権ドライバーズチャンピオン。WRCではないが96年モンテカルロ・ラリーで優勝。

ハリ・ロバンペラ

Harri Rovanperä FI,M,1966/4/8,D
フィンランド・ユバスキラ出身。95年フィンランドF2チャンピオン。WRC通算1勝。
ティモ・ヨキのサポートを受けているドライバーの一人。典型的なグラベルスペシャリストで、ターマックは遅い。トラクター会社の「ヴァルトラ」に勤務していた関係で名古屋に2ヶ月ほど住んでいたことがある。
ラリーデビューは89年。93年1000湖でWRCデビュー。95、96年は英国選手権に参戦。97年セアトのイビザ・キットカーを駆りF2で6勝。
98年はF2で3勝をあげた後、フィンランドでデビューしたコルドバWRCを最終戦までドライブ。
99年はセアトのワークスドライバーとしてフル参戦。00年はセアトに加入したオリオールにシートを奪われ、プライベーターとして4戦のみの参加だったが、シーズンを終わってみれば14戦走ってシリーズ12位に終わったオリオールに対し、ロバンペラは9位。
01年はプジョーのワークスシートを獲得、初めて206WRCをドライブしたスウェディッシュで初優勝。
02~03年もプジョーのグラベル要員として走り、時折り1stドライバーのグロンホルムですら置き去りにするパフォーマンスを見せた。
03年末でプジョーを放出されたが、04年はプジョーに加入したフレディ・ロイクスの不振のため、急遽プジョーに呼び戻される。05年は三菱の1stドライバーとしてフル参戦。前半は慣れないクルマとトラブルに苦しんだが、最終戦オーストラリアで2位フィニッシュ、シリーズ7位。
06年は三菱のグラベル要員となる予定だったが、三菱がWRC活動を休止したためレッドブル・シュコダで6戦に参戦。

ハメド・アル-ワハイビ

Hamed Al-Wahaibi OM,M,1968/1/20,D
中東オマーン出身。99年FIAカップシリーズ2位。
2003年アルゼンチン・ラリー中に突然引退を表明。友人であったポッサム・ボーンの死が引き金になり、家族のためにとモータースポーツから一度は身を引くこととなった。
05年シーズン途中のニュージーランドから復帰。シムスのインプレッサでPCWRCに参戦した。

ハンヌ・ミッコラ

Hannu Mikkola FI,M,1942/5/24,D
フィンランド・ヨーンス出身。WRC通算18勝、83年WRCドライバーズチャンピオン。もっとも有名なフライングフィンのひとり。73~77年は非常にリタイアが多い。好きな酒を断ち、アウディ・クワトロの開発に取り組む。83年、41歳にしてドライバーズチャンピオン獲得。

ピエロ・リアッティ

Piero Liatti IT,M,1962/3/7,D
イタリア・ビエラ(グレシア?)出身。WRC通算1勝。
85年ラリーデビュー。86年フィアット・ウーノ・ターボ・トロフィーでチャンピオン獲得。
87年グループBでイタリア国内ラリーに出場。88年よりグループNで、89年からグループAでERCに参戦。
90年サンレモでWRCデビュー。91年プライベート出場のERCでドライバーズ・チャンピオン獲得。95年サンレモで優勝(W2L)。
95年からスバルのNo.3ドライバーとしてターマック戦に出場。
96年は1000湖以外のWRCとAPRCに出場し、WRCシリーズ5位、APRCシリーズ3位。
97年モンテカルロで、スバル・インプレッサWRCのデビュー・ウィンをもたらす。2勝目となるはずだった同年サンレモではチームオーダーで優勝をマクレーに譲る。
ターマックスペシャリストのイメージが強いが、96年インドネシアで2位を獲得している。

ビッシュ

’Biche’ Michèle Espinosi-Petit FR,F,1948/9/28,C
24歳でWRCの初戦、1973年モンテカルロ・ラリーにジャン-クロード・アンドリューのコ・ドライバーとして出場、優勝する。Bicheとは雌鹿のことで、フランスではMa biche(マビッシュ)というのは男性の女性に対する愛情を込めた呼び方になる。かわいいおまえ、というようなニュアンスだそうだ。

ビヨルン・ワルデガルド

Björn Waldegård (Björn Waldegĺrd) SE,M,1943/11/12-2014/8/29,D
スウェーデン・ロー出身。62年にVWビートルでラリーを始め、VWのサポートを受けてポルシェ911にスイッチ。WRC通算16勝。79年から始まったドライバーズタイトルの初代チャンピオン。2012~13年は新城ラリーのゲストドライバーとして参加していたが、2014年8月にがんのため70歳で死去。

藤本吉郎

Yoshio Fujimoto JP,M,1960/1/29,D
神奈川県出身。85年チームいすゞから全日本ラリーに参戦。
87年香港~北京ラリーが海外初挑戦。
89年WRC初参戦、ニュージーランドでクラス2位。93年ニュージーランドでグループN優勝。94年、TTEからワークスドライバーとして参戦。95年サファリ・ラリーで優勝(W2L)。98年APRCチャンピオン。

ファブリツィア・ポンス

Fabrizia Pons IT,F,1955/6/26,C/D
76,77年イタリア選手権レディスドライバーチャンピオン。78年サンレモでドライバーとして総合9位、レディスウィナー。79年にミシェル・ムートンからコ・ドライバーになってほしいと電話を受けたが、いたずら電話と勘違いして切ってしまったという。数日後に本人の電話とわかり、コンビを組む。85年にいったん引退するが、94年アリ・バタネンのコ・ドライバーとして復帰。バタネンに続いてピエロ・リアッティのコ・ドライバーも務める。
アリ・バタネンやユタ・クラインシュミットと共にパリ・ダカールにも出場している。

ファブリツィオ・タバトン

Fabrizio Tabaton IT,M,1955/5/16,D
ジェノバ出身。主にERCに参戦。85年・87年イタリア選手権ドライバーズチャンピオン。86年・88年ERCドライバーズ・チャンピオン。WRCデビューは79年だが8戦出場のみ。そのうち7回はサンレモ。WRC最上位は84年の4位。ストラトス、037、S4、Deltaとランチアのみを乗り継ぎ、WRC最後の出場となっている99年モンテカルロはカローラWRCをドライブしている。
ファブリツィオの父、ルイジ・タバトンが60年代に設立したのが名門プライベート・チームのひとつ、HFグリフォーネ。黒地に太い金のストライプを配し、ESSOのロゴが目立つランチア・デルタ・インテグラーレが有名。

フィリップ・ブガルスキー

Philippe Bugalski FR,M,1962/6/12-2012/8/10,D
フランス・ブセ出身。WRC通算2勝。
典型的なフランス人ターマックスペシャリスト。WRCで挙げた2勝はFFの2000cc(NA)キットカーによるもの。
82年ラリーデビュー。WRCデビューは84年のモンテカルロ。
91年はルノー、92年はランチアからWRCNにスポット参戦。95年はルノーからスポット参戦。
2012年、自宅の木から落下した怪我が原因で死去。

フィル・ショート

Phil Short GB,M,1945/6/9,C
イギリス・ヨークシャー出身。ショートとは名ばかりで、身長2メートル近い巨漢。77年からジョン・テイラーのコ・ドライバーとしてフォードに在籍。英国選手権で2回のチャンピオンを獲得、国際ラリーで17勝をあげる。81年からチームのマネージメント業務を始める。89~94年にTTE、95~00年にラリーアートに在籍、カルロス・サインツやトミ・マキネンのチャンピオン獲得に貢献。01年よりフォード・スポーティングアドバイザー。

フィル・ミルズ

Philip Mills GB,M,1963/8/30,C
イギリス・コッカーマウス出身。マーク・ヒギンズのコ・ドライバーを務めたあとペター・ソルベルグとコンビを組む。「最初はドライバーになったけれど、あんまり簡単すぎてつまらないのでもっと頭を使えるコ・ドライバーになったのさ」とは本人の弁(もちろんジョーク)。

フランコ・クニコ

Gianfranco Cunico IT,M,1957/10/11,D
イタリア・ビゼンツァ出身。77年ラリーデビュー。87年ランチア・デルタでイタリアグループNに参戦、チャンピオン獲得。94~96年イタリア選手権チャンピオン。WRC通算1勝。WRCデビューは81年サンレモ。93年サンレモでWRC初優勝。04年はERCに参戦している。

フランソワ・シャトリオ

François Chatriot FR,M,1952/1/1,D
89,90年フランス選手権ドライバーズチャンピオン。WRCでは86年と89年ツール・ド・コルスの2位が最高位。現シトロエンチームマネージャー。

フランソワ・デュバル

François Duval BE,M,1980/11/18,D
ベルギー・チェイメイ(Chimay)出身。WRC通算1勝。
02年に参戦したJWRCでは年間6戦のうち初戦のモンテカルロこそ優勝したものの、残りはほとんどポイントを獲得できずシリーズ6位。にもかかわらず翌年03年は22歳でフォードのワークスシートを獲得。
ヘンリ・トイボネンの最年少優勝記録を塗り替えるかと期待されるも果たせず。
04年までフォードで参戦、05年はシトロエンに移籍。シーズン序盤のクラッシュ多発であやうく解雇されそうになったが、最終戦オーストラリアでベルギー人として初のWRC優勝を成し遂げた。
2005年シーズン中盤にコ・ドライバーのステファン・プレボとの関係が悪化、コンビを解消。2006年はシトロエンのシートを失いファースト・モータースポーツからシュコダ・ファビアでスポット参戦。
2007年OMVクロノスのサポートでドイッチュランドに出場、2年落ちのクサラWRCを駆りLEG1を1位で終え、LEG2で4位まで順位を落とすもののLEG3は全ステージでベストを叩き2位でフィニッシュ。08年開幕戦モンテカルロにはストバート・フォードからスポット参戦、SSベストを4回叩き4位。

フランソワ・デルクール

François Delecour FR,M,1962/8/29(30?),D
フランス・カセル出身。WRC通算4勝。
81年アウトビアンキA112でラリーを始め、84年モンテカルロでタルボ・サンバを駆りWRCデビュー。87年プジョー・フランスからフランス選手権に出場、シリーズ9位、89年4位、90年3位。
91年にフォード・ワークスに入る。初戦の91年モンテカルロ、WRCではまだほとんど無名の新人だったデルクールは、最終SSまでトップを快走し注目を集めるが、サスペンションを壊して3位に終わる。
93年のポルトガルでWRC初優勝、この年はツール・ド・コルスとカタルニアでも勝利をあげ、シリーズ2位。
94年のドライバーズチャンピオン候補最右翼だったが、サファリ・ラリー後に交通事故にあい両足を骨折、シーズン大半を棒に振る。
95年はフォードで参戦、シリーズ4位。96年はワークスシートを失うが、10年ぶりに活動を再開したプジョーの306マキシを駆り、モンテカルロで2位(W2L)。97、98年も306マキシでターマックに参戦。99年はプジョー206WRCでスポット参戦。
00年はフル参戦しシリーズ6位につけたが、パニッツィのレッキ疑惑などのトラブルからプジョーを解雇された。01年はフォードのNo3ドライバーとして参戦、02年は三菱の1stドライバーとして参戦。03年に三菱撤退のあおりで解雇され、その後はシートがない。
ひとこと多いことでも有名なドライバーで、「口は災いの元」を地でいって罰金を払ったり、せっかく得たプジョーのシートを失ったりした。
ターマックでは狂気と紙一重の、鬼神のような凄みのある走りを見せる。グラベルでもかなり速い。実力からいえば4勝は少なすぎるともいえる。
ステアリングに極端に近い、独特のドライビングポジションを取っていることでも知られる。デルクールのイメージの中では、車体は前半分で終わっており、車体後部はただ引きずられているにすぎないのだそう。

ブリス・ティラバッシ

Brice Tirabassi FR,M,1977/6/15,D
ラリーデビューは97年。WRCは99年ツール・ド・コルスが初出場。
02年フランススーパー1600チャンピオン。03年はルノー・クリオを駆り、JWRCチャンピオン。
05年はPCWRCに参戦、1勝をあげるがシリーズ12位。

ブルーノ・サビー

Bruno Saby FR,M,1949/2/23,D
81年フランス選手権チャンピオン。WRC通算2勝。

ブルーノ・ティリー

Bruno Thiry BE,M,1962/10/8(10?),D
ベルギー・サンビス出身。81年、ラリーデビュー。86年、シトロエンのワンメイク・ラリーでチャンピオン。89年アクロポリスがWRC初出場。03年ERCチャンピオン。ターマックでは非凡な速さを示すものの、不運もありWRCでは未勝利。
93年、オペル・アストラで5戦にF2優勝。94年、フォードのセミワークス、RASスポールからWRC7戦に出場。シリーズ5位。
95年コルシカではトラブルを抱えながらもラリーをリード、コルシカ・マイスターのオリオールすら押さえ込んでいたが、最終SSのふたつ前でフロントのハブベアリングが破損しリタイヤ。ベルギー人として最初の優勝を飾るかに思えたラリーは、涙の結末となった。このときのコ・ドライバーだったステファン・プレボ曰く、「優勝していたらすぐ忘れられただろうけど、リタイアしたからみんなあのラリーをよく覚えている」。
01年サファリではCS11でパワーステアリングが故障。70kmをパワステなしで走行し、ゴールで疲労困憊のあまり失神。ドクターが止めるのを振り切って次のCSを走るが途中でコースアウト。結果はリタイアだったがティリーの闘志には凄みがあった。

フレディ・ロイクス

Freddy Loix BE,M,1970/11/10,D
ベルギー・トングレ出身。87年カートでベルギー国内チャンピオン。89年ラリーデビュー。93年サンレモでWRCデビュー。95年サンレモでF2優勝。96年トヨタ・ベルギーに加入、シリーズ8位。
トヨタ在籍時に非凡な才能を見せ、将来をもっとも嘱望されたドライバーの一人だったが、チーム選択を誤り低迷。
三菱では「マキネン・スペシャル」のランサーに手を焼き、ヒュンダイでは才能を生かせず。
04年はプジョーのシートを得て、ベルギー人でWRC初勝利にもっとも近い位置にたどり着いたのだが、マシンは”難あり”の307WRC。
モンテカルロとスウェディッシュに出場しただけでレギュラーシートを失い、以降ドイツまで去就もはっきりしない状態が続いた。
ドイツとコルシカではセドリック・ロベールにワークスノミネートを奪われて出場、ワークスノミネートのカタルニアではリタイア。三度マシンに泣かされることになった。
06年からIRCに参戦。2016年シーズン終了をもって現役を引退。

ヘイデン・パッドン

Hayden Paddon NZ,M,1987/4/20,D ニュージーランド・ジェラルディン出身。ラリードライバーだった父クリスの影響で6歳からカートを始め、2002年ラリーを始める。2006年ニュージーランドのジュニアとルーキーのタイトルを獲得。WRCデビューは2007年ニュージーランド。2007年からPWRCに参戦。2011年PWRCチャンピオン獲得。2012年はS-WRC(WRC2)に参戦。2014年からヒュンダイワールドラリーチームに加入、2016年アルゼンチンでWRC初勝利。2016年シリーズランキング4位。

ヘサス・ピュラス

Jesús Puras Vidal de la Peña ES,M,1963/3/16,D
90,92,95,97~99,00,02年スペイン選手権チャンピオン。94年FIAカップチャンピオン。WRC通算1勝は01年ツール・ド・コルスであげたもの。03年限りで引退を表明した。

ペター・ソルベルグ

Petter Solberg NO,M,1974/11/18,D
ノルウェー・スパイデベルグ出身。WRC通算13勝。
96年、兄ヘニングのセリカでラリーデビュー。97年、ノルウェー選手権に参戦、シリーズ5位。98年ノルウェー選手権チャンピオン。13歳でノルウェーのラジコンチャンピオンを獲得。
92年からラリークロスを始める。95年と96年にラリークロスとヒルクライムのタイトルを連覇。
98年スウェディッシュでセリカST205を駆りWRC初出場。
99年はフォードと5年の長期契約を結び、6戦に出場。
00年もフォードから参戦するが、シーズン途中でスバルと契約、ツール・ド・コルスからインプレッサWRCを駆る。01年はスバルからフル参戦、シリーズ10位。
02年グレートブリテンで初優勝し、シリーズ2位、翌03年は4勝を挙げ、WRCドライバーズチャンピオン獲得。
04年、5勝をあげるがバッテリー上がりや3回のラジエーター破損など不運も続き、ポイントが伸びずシリーズ2位。
05年は「グラベルは全部勝てる」と自信を持ってスタートするが、マシンはともかくミシュランのグラベル用タイヤZ”BTO”にピレリが完敗。ローブの背中を追うばかりのラリーが続き、最後までラリーをリードしたジャパンでは前走者が掘り起こした岩にヒットしてリタイア、オーストラリアではカンガルーにヒットしてリタイア。不運も続きシーズン3勝、シリーズ2位。
06年、07年は一向に改善しないインプレッサに足を引っ張られ、2005年3戦目のメキシコ以降自力優勝に見放され(2005年GBでの優勝は競技中の死亡事故によりセバスチャン・ローブが1位から降りたための繰り上げ)、スバル復活を遂げられないままスバルが08年でWRCから撤退、09~11年はワークスチームのシートを得られずプライベーターとして参戦。2012年はフォードのナンバー2ドライバーとしてシートを得たがシリーズランキング5位にとどまり2013年の契約はなかった。
2013年からはラリークロスに転向、ラリークロスが世界選手権に昇格された2014は初代チャンピオンを獲得。2015年もチャンピオンを獲得したが2016年はランキング4位となった。
非常に明るい華やかな性格で、ニックネームは”ハリウッド。ノルウェーでは国民的なスターである。元ラリードライバーの妻パネラ(Pernilla Walfridsson、スウェーデン出身)との間に息子オリバー君がいる。

ヘニング・ソルベルグ

Henning Solberg NO,M,1973/1/8,D
ノルウェー・スパイデベルグ出身。ペター・ソルベルグの兄。
声だけ聴いていると、ペターとそっくりで区別がつかない。
北欧のラリーでは何度も優勝している。WRCデビューは1998年スウェーデン。2003年までトヨタ・フォード・スバル・三菱でスポット参戦。04年はボジアン・レーシングから、05年はBPフォードでスポット参戦。06年はOMVプジョーで12戦に参戦、07年はストバート・フォードからフル参戦しシリーズ6位。06年トルコ、07年ノルウェー・ジャパンでの3位が最高位。

ベルナール・ダルニッシュ

Bernard Darniche FR,M,1942/3/28,D
1972・76・78年フランス選手権ドライバーズチャンピオン。76・77年ヨーロッパ選手権ドライバーズチャンピオン。1967年からラリーに出場、1973年モロッコでWRC初優勝。WRC通算7勝。

ペンティ・アイリッカラ

Pentti Airikkala FI,1945/9/4、D(42年生まれの資料もあり)
フィンランド・ヘルシンキ出身。60年代中盤からラリーを始める。オペル・カデットでの73年1000湖ラリーがWRC初出場。74年フィンランド選手権チャンピオン。79年イギリス選手権チャンピオン。77~80年、ボグゾール・ワークスに在籍。81年フォードでシリーズ9位、82年三菱、83年ランチア、84年日産でスポット参戦。90年にフォード・シエラ・コスワースで3戦を走るが、サンレモで負った火傷のため91年で引退。
WRC通算1勝。1989年RACラリーで、三菱ギャランVR-4を駆り優勝している。この時アイリッカラは44歳で、初優勝の最年長記録と思われる。03年グレートブリテンに久々の出場。

ヘンリ・トイボネン

Henri Toivonen FI,M,1956/8/25-1986/5/2,D
フィンランド・ユバスキラ出身。父親も有名なラリードライバーのパウリ・トイボネン。WRC通算3勝。1980年、24歳2ヶ月でRACで初優勝。2008年2月にヤリ-マティ・ラトバラが22歳で優勝するまで、28年間WRC最年少優勝記録の保持者であった。
WRCデビューは1975年1000湖。タルボチームから出場し初優勝したのが80年11月。その後オペル、ランチアと移籍するが、85年最終戦RACでランチア・デルタS4を得て2度目の優勝を飾るまで丸5年を要した。
86年開幕戦モンテカルロでも優勝するが、5戦目ツール・ド・コルスのSS18でコースアウト、コ・ドライバーのセルジオ・クエストと共に死亡。FIAはヘンリの死の2日後、グループBの廃止を決定する。
コルシカ島の事故現場付近には石碑が建てられており、現在でも訪れる人が絶えないという。

ポッサム・ボーン

Peter Raymond George Bourne (Possum) NZ,M,1956/4/13-2003/4/30,D
ニュージーランド・プケコヘ出身。愛称のポッサムとはニュージーランドやオーストラリアに棲むフクロネズミ。高校時代に母親の自動車を運転中、飛び出してきたポッサムを避けようとして横転したことが由来。93,94,2000年APRCチャンピオン。ラリー北海道初代チャンピオン。生粋のスバリストとして日本でも有名。
79年ラリーデビュー。83年ニュージーランドでWRC初参戦。 87年ニュージーランドでの3位がWRC最高位。93年のオーストラリア、アクシデントでコ・ドライバーのロジャー・フリースが死亡。
2003年4月18日、ニュージーランドでヒルクライム・レースを一般車両で試走中に別の参加者の車と正面衝突、病院に搬送されたが意識が回復しないまま4月30日に逝去。

ホルヘ・リカルデ(レカルデ)

Jorge Raúl Recalde RA,M,1951/8/9-2001/3/10,D
アルゼンチン、ミナ・クラベロ出身。80年ポルトガルでWRCデビュー。88年アルゼンチン・ラリーで優勝。WRC通算1勝。アルゼンチンを代表するドライバーとして各チームから声がかかり、メルセデス、ダットサン・ルノー、アウディ、ランチア、トヨタ、三菱、フォードからアルゼンチン・ラリーに出場した。
2001年3月、アルゼンチンの国内選手権に出場中、サービスパークでエンストした車を押している時に心臓発作を起こし他界。享年49歳。

ポンタス・ティデマンド

Pontus Tidemand SE,M,1990/12/10.D
スウェーデン、ヴェルムランド出身。2012年WRCデビュー。2017年WRC2チャンピオン。母親のモードはヘニング・ソルベルグの再婚相手になり、ヘニングの義理の息子にあたる。

マーカス・グロンホルム

Marcus Grönholm FI,M,1968/2/5,D
フィンランド・エスポー出身。WRC通算30勝。
00年・02年WRCドライバーズチャンピオン。
87年ラリーデビュー。88年、フィンランドジュニア選手権チャンピオン。
89年、1000湖でWRCデビュー。
91年(グループN),94,96~98年(グループA)フィンランド選手権ドライバーズチャンピオン。
97年、TTEからスポット参戦。フィンランドではカローラWRCのデビュー戦でレグ1を1位で終えるがLEG3でガス欠のためリタイア。
98年はグリフォーネからトヨタをドライブ。99年はセアト、三菱、プジョーからスポット参戦。
00年はプジョーワークスシートを得てフル参戦。スウェーデンでWRC初勝利、さらに3勝をあげてWRCドライバーズチャンピオンを獲得する。
01年は3勝をあげるがシリーズ4位。
02年はシリーズ5勝をあげて2度目のドライバーズチャンピオン獲得。ニュージーランドでは連続12SSベストを記録するなど、グラベルでのスピードは圧倒的だった。
03年、シーズン前半に3勝をあげるも後半はマシントラブルが頻発、シリーズ6位。
04年、熟成不足の新型マシン、307WRCに手を焼きシーズン1勝、シリーズ5位。
05年、頻発する307WRCのトラブルは最後まで解消せず、シーズン2勝、シリーズ3位。
06年はフォードに移籍、7勝を挙げシリーズ2位。
07年5勝しシリーズ2位。
07年を最後に引退を表明。
ひとりだけ突出したタイムを出し続け、最初から最後までトップをキープするのが勝ちパターン。ワークス参戦していた00年~07年でフィンランド7勝、スウェーデンとニュージーランドで5勝するなど高速のグラベル・スノーラリーを得意とし、ターマックでの勝利は06年のモンテカルロのみ。
マーカスが13歳の時、ラリードライバーだった父親のウルフ・グロンホルムは、テストドライブ中に事故死している。
フィンランドの中でスウェーデン語を話す少数民族の出。家は農場。フィンランド人だがヨキ・コネクションによるサポートは受けておらず、スウェーデン系の支援でラリーに参加していた。身長193cm。
コ・ドライバーのティモ・ラウティアイネンは義兄弟、セバスチャン・リンドホルムは従兄弟にあたる。

マーク・ヒギンズ

Mark Higgins GB,M,1971/5/21,D
97年イギリス選手権チャンピオン。WRCでは02年のグレートブリテンでプライベーター最上位の6位。

マーチン・ロウ

Martin Rowe GB,M,1971/6/24,D
98年英国選手権チャンピオン。03年PCWRCチャンピオン。

マイケル・パーク

Michael Steven Park GB,M,1966/6/22-2005/9/18,C
イギリス・ヒアフォード出身。愛称の”beef”は子供のころ小柄だったため反語的に付けられたもの。
ラリー活動は87年に地元のモータースポーツクラブに参加して開始。1990~91年英国プジョー・チャレンジカップでシリーズ2位。94年から98年までリチャード・バーンズのグラベルクルーも務める。
WRCデビューは1994年、RACにデビット・ヒギンズのコ・ドライバーとして出場。1999年にアブドゥル・バカシャブのコ・ドライバーを務める。2000年よりマルコ・マルティンとコンビを組み、以降スバル・フォード・プジョーからマルコとともにワークス参戦。
2005年ラリーGBのLEG3、SS15でマシンがコースアウト、助手席側から道路脇の木に激突し死亡。即死状態だったという。享年39歳。

マシュー・ウィルソン

Matthew Wilson GB,M,1987/1/29,D
マルコム・ウィルソンの息子。2004年GBでWRCデビュー。06~08年はストバートVK MスポーツからWRCフル参戦。 WRC最上位は07年ジャパンの4位。

マッシモ・ビアジオン

ミキ・ビアジオン

マッツ・ヨンソン

Mats Jonsson SE,M,1957/11/28,D
スウェーデン・カールスタッド出身。WRC通算2勝。90年・98年・02年スウェーデン選手権ドライバーズチャンピオン(Big GroupA)。WRCデビューは1979年スウェディッシュ。90年RACラリーで4位に入り注目を集める。トヨタのWRCスウェディッシュ要員として、92年・93年連続で優勝。

マッズ・オストベルグ

Mads Østberg NO,M,1987/10/11,D
2004年からラリーに参戦。2007, 2008, 2009,2011年のノルウェー選手権チャンピオン。2006年アダプタワールドラリーチームのスバル・インプレッサでWRCデビュー。2011年フォードに移籍。初戦スウェーデンで2位入賞。2012年ポルトガルでWRC初優勝。

マティアス・エクストローム

Mattias Ekström SE,M,1978/7/14,D
04年DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)チャンピオン。WRCデビューは1999年スウェディッシュ、三菱ランサー・エボリューション4で参戦。2004年スウェディッシュでグループNクラス優勝。2005年はワークス・シュコダでスウェディッシュに参戦、総合10位。

マルク・アレン

Markku Alén FI,M,1951/2/15,D
フィンランド・ヘルシンキ出身。WRC制定前の78年FIAカップで1位。WRC通算19勝を挙げながら一度もドライバーズチャンピオンを獲得できなかったため、無冠の帝王と呼ばれる。1986年、最終戦オリンパスで勝利しドライバーズポイントで一位となっていたが、シーズン終了後にサンレモラリーの結果が無効とされたためチャンピオンの座を失った。

マルク・マルティ

Marc Martí Moreno ES,M,1966/10/1,C
スペイン・マドリード出身。94年スペイン選手権チャンピオンのオリオール・ゴメスやヘサス・ピュラスのコ・ドライバーを務めたあと、03年よりカルロス・サインツとコンビを組む。04年でサインツが引退したあと、05年からダニエル・ソルドのコ・ドライバー。

マルコス・リガト

Marcos Ligato AR,M,1977/11/22,D
WRCデビューは98年アルゼンチン。01年はグループNカップに参戦、1勝をあげてシリーズ4位。
02~05年はPCWRCに参戦。05年はシリーズ3位。

マルコ・マルティン

Markko Märtin EE,M,1975/11/11
エストニア・タルトゥ出身。98年エストニアチャンピオン。WRC通算5勝。
ラリーデビューは94年。99年、フォードとトヨタでWRCスポット参戦。00年はプライベートのカローラWRCで参戦、シーズン終盤にスバルと契約。
01年はスバルのワークスドライバーとして9戦に出場し、シリーズ19位。
02年、スバルの3rdドライバーとしてフル参戦、シリーズ9位。
03年はフォードに移籍、アクロポリスでWRC初勝利をあげる。フィンランドでも勝ちシーズン2勝、シリーズ5位。03年度はステージベストを一番多く叩き出していた(2位はマーカス・グロンホルム)。
04年、3勝をあげてシリーズ3位。
05年、プジョーに移籍するがマシンに馴染めず、着実にポイントを重ねるが優勝争いに絡めないラリーが続く。そして9月18日、ラリーGBの最終日、マシンがコースアウトし、コ・ドライバーのマイケル・パークが死亡。
05年の残りのラリーは参戦中止。06年以降はローカル・ラリーで時々走っている。08年スバルワールドラリーチームのテストドライバーを務める。

マルコム・ウィルソン

Malcolm Wilson GB,M,1956/2/17,D
イギリス・コカーマウス出身。74年にラリーデビュー。78,79年英国選手権チャンピオン。77年にWRC初出場。現フォードMスポーツのディレクター。

マンフレッド・ストール

Manfred Stohl AT,M,1972/7/7.D
ウイーン出身。父はルドルフ・ストール。91年コートジボアールでWRCデビュー。2000年プロダクション選手権ドライバーズチャンピオン。04年からOMVワールドラリーチームに加入、05年キプロスではプライベーターとしては久々の2位入賞。06年はシリーズ4位。07年はマシンの能力不足(本人談)に泣かされシリーズ9位。

マンフレッド・ヒーマー

Manfred Hiemer DE,M,1961/6/23,C
98年よりアルミン・シュバルツのコ・ドライバー。

ミカエル・エリクソン

Mikael Ericsson SE,M,1960/2/28,D
スウェーデン・ウメア出身。WRC通算2勝。78年VWゴルフでラリーを始める。81年スウェディッシュでWRC初参戦。82~86年はアウディで参戦、86年からランチア・ワークス入り。89年アルゼンチンをランチアで制し、続く1000湖をスポット参戦の三菱・ギャランで連続優勝。90~92年はトヨタから参戦。

ミキ・ビアジオン


Miki(Massimo) Biasion IT,M,1958/1/7,D
イタリア、バッサノ・デル・グラッパ出身。WRC通算17勝。1988,1989年WRCドライバーズチャンピオン。ランチア・デルタ・インテグラーレの活躍は,ビアジオンの功績といっても過言ではない。WRC参戦を始めてから10年間、クラッシュでのリタイアが一回もない。
両親はミケーレと名付けたが祖母が出した出生届の名前はマッシモ。そのためふたつ名前がある。
80年、オペル・アスコナでラリーを始め、83年ジョリー・クラブからERCに参戦、チャンピオン獲得。86年からランチア・ワークス入りし、88年から2年連続ワールド・チャンピオン。92年、9年間在籍したランチアからフォードに移籍。

ミッコ・ヒルボネン

Mikko Hirvonen FI,M,1980/7/31,D
フィンランド・Kannonkoski出身。02年フィンランド選手権スモールグループAドライバーズチャンピオン。ティモ・ヨキ、トミ・マキネンがサポートしていた。
ラリーデビューは98年。02年フィンランドでWRCデビュー。03年はフォードのNo.3ドライバーとして全戦に参戦。04年はスバルのセカンドシートを獲得、シリーズ7位。
04年でスバルを解雇されたが、05年はフォードからスポット参戦、カタルニアで3位。
06年はフォードのセカンドシートを獲得。オーストラリアで初優勝、シリーズ3位。07年は3勝を挙げシリーズ3位。

ミシェル・ムートン

Michèle Mouton FR,F,1951/6/23,D
フランス・グラース出身。WRC、というよりも、モータースポーツ史上でもっとも偉大な女性ドライバー。WRC通算4勝。現在はシーズン終了直後にカナリア諸島(04年からパリ)で行われる「レース・オブ・チャンピオンズ」を主催する。このイベントは、ヘンリ・トイボネンを偲ぶイベントでもある。

三好秀昌

Hideaki Miyoshi JP,M,1960 ,D
80年ラリーデビュー。89年から海外ラリーに参戦。91年英国ミンテックスに三菱ギャランで参戦、シリーズ2位。
94年ERCにグループNランサーで参戦、シリーズ2位。95年ポルトガルでWRCデビュー、同年サファリで総合4位、グループN優勝。

ミルコ・バルダッチ

Mirco Baldacci SM,M,1977/9/19,D
ラリーデビューは98年。00年サンレモでWRC初出場。
02~05年はJWRCに参戦。02年シリーズ12位、03年4位、04年5位、05年は1勝をあげて7位。

ヤニ・パーソネン

Jani Paasonen FI,M,1975/4/11,D
95年ラリーデビュー。WRCデビューは97年フィンランド。
00年フィンランド選手権ビッググループNチャンピオン。
02年、三菱からスポット参戦。レギュラードライバーより好タイムを並べ注目を浴びた。かなり体重のありそうな体だったが、2003年にダイエットを敢行。別人かと思うほど大減量するも、ワークスシートは得られず。
04年はPCWRCに参戦、2勝をあげシリーズ3位。05年はシュコダからスポット参戦。元の職業はトラック運転手。

ヤヌス・クーリッグ

Janusz Kulig PL,M,1969/10/19-2004/2/13,D
97年、00~01年ポーランド選手権チャンピオン。99年~02年、WRCにスポット参戦。03年はPCWRCに参戦。04年2月13日、ポーランドで自家用車を運転中、電車と衝突して死亡。

ヤリ-マティ・ラトバラ

Jari-Matti Latvala FI,M,1985/4/3,D
フォードの青田刈り政策の一環として、02年GBに18歳高校生でWRCデビュー。04年JWRC、06年PCWRCを経験し、07年はストバート・フォードからフル参戦、シリーズ8位。08年はフォードワークスチームのセカンドドライバーを務める。08年スウェーデン、22歳11ヶ月で初優勝。1980年に24歳でWRC最年少優勝したヘンリ・トイボネンの記録を28年ぶりに塗り替えた。

ヤルモ・キトレート

Jarmo Kytolehto FI,M,1961,D
90、91年フィンランド選手権グループAと2リッタークラスチャンピオン。92年フィンランド選手権グループNチャンピオン。95年はオペルからイギリス選手権に参戦。

ヤルモ・レーティネン

Jarmo Lehtinen FI,M,1969/1/3,C
フィンランド・ラーティ出身。04年はミッコ・ヒルボネンと共にスバルから参戦。

ヤン・コペッキー

Jan Kopecký CZ,M,1982/1/28,D
チェコ出身。WRCデビューは2002年ドイツ。05年~07年はシュコダでスポット参戦。ターマックでは非凡な才能を示し、戦闘力が高いとは言い難いファビアを駆り06年スペインと07年ドイツで5位獲得。

ヤンネ・トゥオヒノ

Janne Tuohino FI,M,1975/5/22,D
フィンランド・Kiiminki出身。99年フィンランド選手権グループNドライバーズチャンピオン、01年フィンランド選手権グループAドライバーズチャンピオン。

ユッシ・バリマキ

Jussi Välimäki FI,M,1974/9/10,D
ラリーデビューは93年。WRCは98年スウェディッシュが初出場。
02年はJWRCに参戦。03年はヒュンダイの3台目としてスポットで参戦。

ユッソ・ピカリスト

Juuso Pykälistö FI,M,1975/5/21,D
フィンランド・Padasjoki出身。ラリーデビューは94年。96年1000湖でWRCデビュー。
03年はマーカス・グロンホルムのサポートを受け、ボジアンのプジョー206WRCでスポット参戦。04年はクロノスから2戦に、05年はOMVから1戦、それぞれクサラのWRカーをドライブ。

ユハ・カンクネン

Juha Kankkunen FI,M,1959/4/2,D
フィンランド・ラウッカ出身。79年、1000湖でWRCデビュー。85年サファリで初優勝。86年、87年、91年、93年WRCドライバーズチャンピオン獲得。WRC通算23勝。WRCの”帝王”といえばこの人のこと。「アイス・マン」とも呼ばれる。「トリプルK」とはカンクネンのことだ(カンクネンのスペルにKが3つあることから)。本職は農場主。
79年1000湖でWRCデビュー。
83年にTTEに加入。85年サファリでWRC初優勝を遂げる。86年にプジョーに移籍、この年に初めてのWRCドライバーズチャンピオンを獲得。86年でプジョーがWRCから撤退したため87年からランチアに移籍、2年連続でドライバーズチャンピオンを獲得。
88~89年は再びTTEで走り、90年にはまたランチアに移籍。91年、3回目のドライバーズチャンピオンを獲得。
92年はランチアでシリーズ2位、93年は3回目のTTE移籍。4回目のドライバーズチャンピオンを獲得。
94年はトヨタでシリーズ3位、95年はカタルニアまでランキングをリードしていたが、トヨタのリストリクター違反発覚でポイント剥奪。
96年はTTEが出場停止処分のためTTSからプライベートで3戦のみの出場。
97年はワークスシートを失うが、アルゼンチンからフォードのシートを得、8戦のみの出場ながらシリーズ4位。。98年はフォードで走りシリーズ4位。
99年スバルに移籍、2勝をあげシリーズ4位。00年もスバルから参戦するが未勝利、シリーズ8位に終わる。
01年はシートを失い、02年はヒュンダイからスポット参戦。
引退は表明していないが、03年以降は出場していない。

ユハ・ピロネン

Juha Piironen FI,M,1951/4/8,C
ペンティ・アイリイッカラやヘンリ・トイボネン、ユハ・カンクネンらのコ・ドライバーを務める。93年アルゼンチンラリー前に脳溢血で倒れる。

ユハ・レポ

Juha Repo FI,M,1957/10/31,C
フィンランド・エスポー出身。97年より02年までユハ・カンクネンのコ・ドライバーを務める。03年はアリ・バタネンと組んでラリー・フィンランドに出場した。

ユホ・ハンニネン

Juho Hänninen FI,M,1981/7/25,D フィンランド・プンカハリュ出身。2003年からフィンランドラリー選手権に参戦TOYOTA GAZOO Racing。WRCデビューは2006年スウェーデン。2008年PWRCシリーズ2位。2010年IRCシリーズチャンピオン。2011年S-WRCシリーズチャンピオン。2012年ERCシリーズチャンピオン。WRC最上位は2015年フィンランド等の6位。2016年はトヨタ・ヤリスWRCの開発ドライバーを務め、2017年はTOYOTA GAZOO Racingからワークス参戦する。

ラウノ・アルトーネン

Rauno August Aaltonen FI,M,1938/1/7,D
1965年ヨーロッパラリー選手権チャンピオン。WRCでは2位が最上位。

ラッセ・ランピ

Lasse Lampi FI,M,1951/10/3,D フィンランド出身。1977年1000湖ラリーでWRCデビュー。WRC最上位は1983年スウェディッシュの3位。1987年から三菱で参戦し、その後三菱のテストドライバーも務め、ランサー・エボリューションをトミ・マキネンのドライビングに特化するセッティングを行い、マキネンの4連覇に貢献したことで知られる。

ラルス-エリック・トルフ

Lars-Erik Torph SE,M,1961/1/11-1989/1/23,D
スウェーデン出身。80年スウェディッシュ・ラリーでWRCデビュー。WRC最上位は86年のサファリとコートジボアールの2位。89年1月23日、観客としてモンテカルロ・ラリーを観戦中、SS5でジョリー・クラブのランチアがコースアウトし、巻き込まれて死亡。

リスト・マニセンマキ

Risto Mannisenmäki FI,M,1959/5/28,C
フィンランド・ヨウパヨキ出身。引退したセポ・ハルヤンネに替わり、トミ・マキネンのコ・ドライバーを務める。
01年ツール・ド・コルスのクラッシュで負傷、長期戦線離脱を余儀なくされるが、03年グレートブリテンでユッソ・ピカリストのコ・ドライバーとして復帰。

リスト・ピエティライネン

Risto Pietiläinen FI,M,1963/6/25,C
フィンランド・ユバスキラ出身。長くハリ・ロバンペラのコ・ドライバーを務める。07年はクリスチャン・ショーベリのコ・ドライバー。

リチャード・バーンズ

Richard Burns GB,M,1971/1/17-2005/11/25,D
イギリス・リーディング出身。93年イギリス選手権チャンピオン。01年WRCドライバーズチャンピオン。WRC通算10勝。
84~85年、17歳以下のドライバーオブザイヤーに選ばれる。91年プジョーカップのチャンピオン。92年ミンテックス・ナショナルシリーズチャンピオン。
90年のRACがWRCの初出場。91年よりロバート・レイドとコンビを組み、最後のWRC出場となった2003年カタルニアまで苦楽を共にした。
1993年にプロドライブに加入、レガシーでRACに出場。94年と95年はWRCとアジパシに参戦。
1996年からRAEに加入、WRCとアジパシに参戦、W2Lニュージーランドで優勝。
98年は三菱でフル参戦、サファリで初勝利、GBで2勝目をあげ、三菱のマニュファクチュアラーチャンピオン獲得に貢献する。
99年は古巣のスバルに移籍、シリーズ3勝、ドライバーズ2位。00年は4勝をあげてドライバーズ2位。
01年、優勝は1回にとどまったものの、ドライバーズチャンピオンを獲得。この年のニュージーランドであげた勝利が最後の勝利となった。
02はプジョーに移籍するが優勝はなく、シリーズ5位。03年も未勝利ながらタイトル争いに絡むが、03年は「なにをやってもグロンホルムには勝てない」というような弱気な発言が目立った。
そして03年の最終戦、グレートブリテンのHQカーディフに向かうドライブ中、突然意識を失う。
同乗していたマルコ・マルティンが車を道路脇に寄せ、大事には至らなかったが、脳に腫瘍が見つかり戦線離脱。
04年はスバルに移籍するはずだったが、療養生活に入ることとなった。
2005年の4月には2回目の手術を受け、8月には車椅子に乗ってはいたがラリーのイベント(Castle Combe)で公の前に姿を見せ、回復も間近かと思われた。
しかし、05年11月25日夜、数日間の昏睡状態のあと、家族と友人に見守られるなかで永眠した。享年34歳。
この日はバーンズがWRCドライバーズチャンピオンを獲得した01年11月25日の、ちょうど4年後だった。

ルイス・ペレス・コンパンク

Luís Pérez Companc AR,M,1972/1/2,D
アルゼンチンの大富豪。WRCデビューは01年アルゼンチン。
06年はストバート、07年はミュンヒス・フォードを資金持込みで走らせる。
WRC最上位は07年ジャパンの5位。

ルイス・モヤ

Luís Rodríguez Moya ES,M,1960/9/23,C
スペイン・ラ・コルーナ出身。88年より02年までカルロス・サインツのコ・ドライバーを務める。ペースノートを読み上げる早口のスペイン語はビデオでもおなじみ。03年シーズン中盤からスバルのアドバイザー。
コ・ドライバーとしての勝利数23は歴代最多。

ルイ・マデイラ

Rui Madeira PT,M,1969/3/1,D
ポルトガル・リスボン出身。89年にラリーデビュー。90年セアト・マルベラ・トロフィーでチャンピオン。
93年ポルトガル選手権チャンピオン。94年ポルトガル選手権を全戦優勝で
制覇。94年TAPとカタルニアでグループN優勝。95年グループNチャンピオン、またグループNながらワークス指定を受け、三菱のポイント獲得に貢献。

ルドルフ・ストール

Rudolf(Rudi) Stohl AT,M,1947/4/21,D
ウイーン出身。旧ソ連製モスクビッチ408でラリーを始める。75年1000湖で旧ソ連製ラダを駆りWRCデビュー。85年からアウディに乗り換える。90年コートジボアールの2位が最高位。マンフレッド・ストールは息子。

レナト・トラバリア

Renato Travaglia IT,M,1965/10/26,D
02年ERCおよびイタリア選手権チャンピオン。01年地元サンレモではプライベート参戦でワークスに割って入る5位を得た。

ロジャー・クラーク

Roger Clark GB,M,1939/4/5-1998/1/12,D
WRC通算1勝。1989年心臓病のため死去。1976年フォードで出場しRACラリーで優勝。フォードがマニュファクチュアラーチャンピオンを獲得したのは現在までこの年のみ。

ロバート・クビサ

Robert Kubica PL,M,1984/12/7,D
ポーランド出身。F1で1勝しているドライバー。2013年WRC2チャンピオン。2014~15年はWRCに参戦。2016年モンテカルロを最後にWRC参戦を終了。

ロバート・レイド

Robert Reid GB,M,1966/2/17
イギリス・パース出身。リチャード・バーンズのコ・ドライバーを長く務めた。

ロマン・クレスタ

Roman Kresta CZ,M,1976/4/24,D
チェコ・ジリン出身。00、01年チェコ選手権チャンピオン。
ラリーデビューは94年。WRCは01年アクロポリスが初出場。
02年はシュコダから7戦に出場。03年はボジアンから7戦に出場。04年はヒュンダイ、フォード、シュコダを1戦ずつドライブ。
05年は資金持ち込みでフォードのワークスシートを確保し15戦に出場、シリーズ7位。WRC最上位は05年のコルシカ、カタルニアの5位。

ワルター・ロール

Walter Röhrl WG,M,1947/3/7,D
ヴァルター・ロールとも表記される。旧西ドイツ・ローゲンスブルク出身。WRC通算14勝。身長196cm。80,82年WRCドライバーズチャンピオン。74年ERCドライバーズ・チャンピオン。82年アフリカ選手権ドライバーズチャンピオン。「ラリーの芸術家」と呼ばれたが、1000湖への参加は拒み続け、一回も出場していない。

who’s who

柿元邦彦

JP,M,1945/8/17
68年に日産自動車入社。特殊車両開発部に所属、グループBの240RS(シルビア)など、ラリーカーの開発を手がける。91年に日産WRCプロジェクトのチーフに就任。

桂田勝

1942-2013/4/24
東京都出身。富士重工業株式会社の元常務取締役、スバルテクニカインターナショナル(STI)元社長。1966年富士重工業入社。2011年STI社長に就任。2013年咽頭がんのため死去。

木全巌

Iwao Kimata 1942-2013/7/4
東京都出身。1966年三菱自動車のラリーチーム創立に参加。チーム三菱ラリーアート総監督。2013年病気のため死去。

久世隆一郎

JP,M,1930/12-2005/3/9
東京出身。53年に富士重工に入社。1988年、スバルテクニカインターナショナル(STI)の初代社長に就任、スバルのWRC参戦を開始。日本のWRCの父ともいえる存在だったが、2005年メキシコ・ラリーの直前、3月9日に74歳で逝去。

クリスチャン・ロリオー

Christian Loriaux
ベルギー人。スバルに10年在籍し、インプレッサWRC2000、2001の開発責任者。2002年フォードに移籍。チーフエンジニア。
03年ニュージーランドから投入されたフォーカスWRC03はロリオーの手によって劇的に改善された。以前のフォーカスはジャンプしたあと、思いっきりノーズを地面に叩きつけながら着地するシーンが頻繁にあったが、03スペックはほとんど見られない。

コラード・プロベラ

Corrado Provera 1941
イタリア・トリノ出身。61年、法律を学んでいた学生時代にシムカの販売員になり、68年よりコミュニケーション部門の部長を務める。78年シムカがプジョーに売却され、プジョーのコミュニケーション部門責任者となる。98年よりプジョー・スポール責任者。
05年スウェディッシュを最後にプジョーチーム監督を引退、プジョー・スポールも退社。
葉巻がトレードマーク。選手としての出場経験はない。

ジャック・レジス

Jacques Regis
05年よりFIA・WRC委員会の委員長。

ジャン-クロード・ヴォカール

Jean-Claud Vaucard
シトロエンのチーフエンジニア。グループBプジョー205の設計者として知られる。

ジャン・レデール

(レデレ) 1922/5/17
フランス・ディエップ出身。アルピーヌ社の創設者。

ジョージ・ドナルドソン

George Donaldson
WRCにはドライバーとして8戦ほど出場している。99年TTEチームマネージャー。01年からラリーアートに在籍するが同年9月にプロドライブに移籍。

ジョルジョ・ピアンタ

Giorgio Pianta IT,M,1937/7/11,D(35年生まれの資料もあり)
ミラノ出身。57年からサーキットでのドライバー活動を始め、63年からランチアのファクトリー・ドライバー。
WRCには73年モンテカルロ、74年ツール・ド・コルスなど数戦に出場。
74年以降、ランチアとフィアットのラリー車はすべてピアンタがテストドライブを行った。76年モンテカルロ・ラリーを最後に引退。91年、ランチア・マルティニのラリー監督に就任。

スヴェン・クアント

1956/6/20
フランクフルト出身。MMSP代表。03年より三菱のモータースポーツ活動を統括する。
2004年9月末でMMSP社長を退任。

デビッド・ホワイトヘッド

David Whitehead
モータースポーツ・ディベロップメント(MSD)代表。98~03年はヒュンダイチームの運営にあたるが、03年サンレモ以降ヒュンダイが資金提供を停止したためそのまま撤退、解散。

デビッド・ラップワース

David Lapworth
プロドライブ・スバル責任者。

鳥居勲

Isao Torii 1958
2004年10月よりMMSP社長に就任し、三菱のWRC活動を統括する。
81年に三菱自動車に入社、市販車の車両実験部門に在籍し23年に渡って北米と欧州の三菱海外拠点で働いていた。

福井敏雄

Toshio Fukui
ESPNのWRC番組の解説でおなじみ。68年、トヨタのモンテカルロ出場からラリーをサポート。1988年、トヨタ・モータースポーツ部のラリー担当部長に就任。90年からトヨタWRCプロジェクトの統括責任者・モータースポーツ部主査。

ベルナール・リンダウアー

Bernard Lindauer
前三菱チーフエンジニア。ランサー・エボリューションでトミ・マキネンがドライバーズチャンピオン4連覇を成し遂げたとき、この車に未来はないと言っていたという。
誰ひとり耳を傾けなかったが、その予言は的中した。

マリオ・フォルナリス

Mario Fornaris
2003年より三菱WRCマネージング・ディレクター。前プジョーテクニカルディレクター。プジョー時代はドライバーと衝突が多く、プジョー時代のオリオールやデルクールの放出も無関係ではないと思われる。フォルナリスの三菱入りが決まった直後、あと一年契約の残っていたデルクールも解雇。パニッツィとはプジョー時代から良い関係。
三菱がマシン開発を日本サイド主体に移行したため、2005年6月末で三菱を離脱した。

ミッシェル・ナンダン

Michel Nandan
プジョー206WRC/307WRCの開発責任者。トヨタ在籍時はST165,185を手がける。トヨタ時代にはアンチラグ・システムを実用化した。07年はスズキのWRカー製作に参加(同年で離脱)。2014~2018年はヒュンダイワールドラリーチーム代表。

Posted by takumi-ya